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グリーンブックのmoronのレビュー・感想・評価

グリーンブック(2018年製作の映画)
5.0
先月観たのにレビューをすっかり書き忘れていた。記憶がぼけぼけ。

そんななかでいまだ鮮明に印象に残っている(あるいは、僕の脳みそが捏造してしまっているのかもしれませんが)のは、ドン・シャーリーの最高の音楽、最高のショパンのことだった。
差別というテーマの文脈にあってなお、孤高の黒人芸術家という要素が、アイデンティティの問題を超えて現れている。芸術家がそれをすることを封じられていた芸術の問題。
「自分だけが弾くことのできる音楽」を通じて、ドンは自分を認められたいのだろうか。たしかにそうかもしれない。しかし、差別やアイデンティティの問題として理解するだけでは片手落ちであるように思う。「自分だけが弾くことのできるショパン」にこだわるドンは、「ショパンを弾く自分の姿こそ、本当の自分だ」と思うよりもずっと、自分の「ショパン」が人びとに聴かれることを望んでいたに違いない。
ドンはよく分かっていたのだ。ショパンがドンを通じてのみ人びとの前に姿を現すことと、当のドンが人びとから拒否されるためにショパンが姿を現せないことを。このような状況にあって、白人にも黒人にもなれない芸術家ドン・シャーリーは格別の孤独のなかで生きることを余儀なくされていた。

芸術は偏見や差別によって曇らされる。芸術はたんなる自己表現や社会変革の手段ではない。
この作品はもちろん、差別をめぐるさまざまな問題が二人の男のあいだで衝突しては融けてゆく、ヒューマンドラマである。それと同時に、「黒人」という目くらましによって芸術が曇らされる物語でもある。
この物語を「黒人」というテーマのもとでのみ語ろうとすると、「芸術」が差別のいち歴史的裏付けと芸術的演出に堕することになりかねない。しかしわれわれは、至高の音楽を前に屈服するトニーや他の人びとの姿をこの映画芸術のなかで観たはずだ。最高の音楽の後で、人びとは偏見や差別のことなど気にならないくらいにウズウズしている。もしかすると、うまいチキンを食らっているときの皆もそうだっただろう。
僕たちは、こんなにも堂々と音楽礼賛めいた作品(トニーは音楽なしにドンに心を開いただろうか?)を、音楽にフォーカスを当てないで語ることができるようになってしまった。なぜならば、僕たちにはいまや音楽を問題にする余裕がないからだ。差別は、僕たちから感性やボキャブラリー、美に思いを馳せる余裕を奪い去ってゆく。

本当に素晴らしい映画でした。音楽よ永遠なれ。差別がとこしえに無くならんことを。
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