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グリーンブックのsanbonのレビュー・感想・評価

グリーンブック(2018年製作の映画)
4.2
これまで見落とされてきた人種差別の新たなパターン。

イタリア系アメリカ人「トニー・リップ」は、"粗野"で"無神経"で"無教養"な反面、口が達者で腕が立つ"処世術"には秀でた男で、そのスキルを活かしニューヨークの高級クラブで用心棒として働いていたが、ある日そのクラブが休業する事となり2ヶ月間無収入の身となってしまう。

そんな折、トニーの噂を聞きつけたアフリカ系アメリカ人の黒人天才ピアニスト「ドクター・シャーリー」の依頼により、8週間かけてアメリカ南部を巡るコンサートツアーの運転手兼マネージャーを任される事になるのであった。

人種問題には基本疎い日本人には、1960年代における"VIPな黒人"に対する差別というのは結構な"盲点"であり、上辺ではスターの扱いをされる反面、一歩ステージから降りた途端、手のひらを返したように黒人差別が横行する様は、中々にショッキングな出来事であった。

例えば、招かれた会食の場でチヤホヤされていたと思えば、トイレを借りようとすると室内にあるトイレではなく、外に据えられた掘っ立て小屋に案内されたり、楽屋とは名ばかりの明らかな物置き部屋へ通されたりと、生理的な部分で嫌悪感を感じるような胸糞悪い差別が今作では数多く描かれる。

これには「ジム・クロウ法」という法律が関わっており、劇中でシャーリーを差別する白人が悪びれる素振りもなく、さも当たり前のように振る舞える理由はここにあった。

ジム・クロウ法とは、ざっくり言うと"白人"と"黒人"の生活区域をハッキリと分けましょうという法律で、トイレやレストランやホテルなど、不特定多数の人間が同時に利用するような公共施設に主に適用されていた。

とは言え、ただ単純に分かれているだけならまだ問題ではなかったのだが、そこにも明らかなる差別が存在しており、黒人が利用する為の施設だけ衛生環境が整っていないような、かなり粗雑な造りのものばかりで、"平等"という言葉などはなから無いかのような格差が当然のように付いて回った。

しかも、それはどれだけ地位と名誉に恵まれていても"黒人であれば"無条件で適用されていたのだ。

なお、この法律は今作の2年後にあたる"1964年"に廃止される事となり、この物語の時期にはほぼ過疎化している法律なのだが、南部などの"因縁深い"地方にはその風習がまだ根深く残っていた事もあり、シャーリーにとってこのコンサートは相当なチャレンジだったという訳だ。

また、シャーリーが"品性"に溢れ"気品"を漂わせる人物として"気高く"描かれているものだから、スターとして輝く姿との"落差"にはかなりのショックを受けてしまう事となる。

今作は、この"キャラクターメイキング"にも非常に優れている。

まず、テンプレな"デコボココンビ"よろしく、今作でも極端なまでに全く違う性格の者同士がバディを組む事になるのだが、それに加えトニーははじめ黒人を差別する側の人間であり、それこそ黒人が口をつけたコップをゴミ箱に捨ててしまうくらい、嫌悪する対象として認識しており、絶対に相容れないであろう関係性として2人は出会う事になる。

しかし、だからこそそんな2人が長い旅を経た先で"通じ合う瞬間"には感情を大きく揺さぶるものがあり、始まりがお互いに疑心暗鬼だった分その振り幅がより鮮烈に脳裏に焼きつくようになっており、それを境にしてこの2人に対する感情移入はもはや不可避となってしまう。

そして特に面白かったのが、2人のキャラクター像に対して、"逆転のイメージ"が効果的に活かされている点だ。

先述した通り、トニーはいい加減で乱暴者として描かれている為、観ている側は絶対にトニーが道中で何かしらのトラブルを起こすのだろうと予想して観始めるのだが、それに反して意外なまでにシャーリーのサポートをしっかりと全うし、愛する家族を一途に想い続け不貞行為の一つも起こさない"信頼に足る"男として、どんどんとイメージが覆されていくギャップがよく利いている。

逆に、数々のピンチを招くのは実は気品に溢れているシャーリーの方であり、それによりシャーリーが抱える"孤独"を露わにし、さらにはシャーリー自身も気付かぬうちに抱いていた"貧富に対する差別意識"まで浮き彫りにしてしまう演出がなされている。

これにより、シャーリーには完璧なイメージの奥に見える不完全な弱さに同情を禁じ得ないし、トニーには一見バカっぽい言動や行動の奥に、男としての格好良さや憧れを抱いてしまう仕組みが施されており、誰しもがこの2人を愛してしまうように上手く仕向けられていた。

そもそも、いい歳をしたオッサン同士の青春映画というだけですでに感慨深いものがある。

別々の価値観と真逆の生き方をそれぞれ何十年にも渡り送ってきた2人の人生が、あるキッカケによって交わり生涯の友になっていくのだ。

そういった意味では、これはある種の"恋愛映画"に近いものがあるのかもしれないと思った。
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