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ドンバスのギルドのレビュー・感想・評価

ドンバス(2018年製作の映画)
4.7
【ブラックボックス化された暴力、鉄槌を下す監督の怒り】
■あらすじ
クライシスアクターと呼ばれる俳優たちを起用して作るフェイクニュースから始まり、支援物資を横領する医師と怪しげな仕掛人、湿気の充満した地下シェルターでフェイクニュースを見る人々、新政府への協力という口実で民間人から資産を巻き上げる警察組織、そして国境での砲撃の応酬……。無法地帯“ノヴォロシア”の日常を描く13のエピソードは、ロシアとウクライナの戦争をすでに予見していた。ここでは一体何が起きているのだ。

■みどころ
ノヴォロシアを謳うドンバス地域に纏わる様々なエピソードを絡めたお話。

ウクライナ内部の親ロ派が引き起こしたブラックボックス化された戦争を追う話で、フェイクニュースを仕掛ける人々・バスに乗る市民・ウクライナ兵のリンチなど戦争を象徴するキーアイテムが様々な時系列・場所で違った形で登場するのが印象的でした。
言い換えれば、それは違った形で伝播・感染するようなものでキリル・セレブレニコフ「インフル病みのペトロフ家」に近いものを感じました。

セルゲイ・ロズニツァのフィクション映画は初めてだが、内容自体は国葬・粛清裁判のようなフィルムアーカイブに近いかな。
今回はドンバス戦争によって発生した分離主義勢力の団結力・義理堅さ・無法地帯のブラックボックスを暴く話であるが、その中で象徴されるものは「暴力性」にあると思う。
キリル・セレブレニコフ「インフル病みのペトロフ家」にも通ずる話だが綿密な暴力性が広がり、時には野蛮に、時には操作されて撹乱させる現地の状況をありのままを映している。

本作が面白いのはそういったドキュメンタリータッチの映画から更に踏み込んで、「暴力は暴力で塗り替えられる」"実情"と「暴力の連鎖に終止符を打たなければいけない」"監督の怒り"の二面性を内包していると思う。そこがセルゲイ・ロズニツァのドキュメンタリーとは違った魅力がある。

印象的なのはフェイクニュースの撮影に挑むクライシスアクターのシークエンス。開幕はフェイクニュースの撮影で始まり、終わりもフェイクニュースの撮影で始まる。
けれども終わりのフェイクニュースの撮影にはある凄惨な出来事と途方も無い長回しが支配し、明確な終わりがないまま唐突にエンドロールが始まる突拍子の無い展開に襲われる。

物語全体の構造そのものがフェイクニュースでブラックボックス化されたドンバス戦争をこじ開けて、再びフェイクニュースでドンバス戦争のブラックボックスを閉じる構造になっている。
そこにはプロパガンダ・撹乱された訳のわからない"ドキュメンタリー性"があると感じました。
けれども終わりのフェイクニュース撮影シーンで起こった凄惨な出来事と、その現場もブラックボックス化され、第3者によって報道される。誰が殺したか不明の中、それでも蚊帳の外では日常生活が続き、現場では情報の取捨選択が行われる。

ドンバス戦争の実情を映した先には2つの"操作"が立ちはだかり、ドンバス戦争の"本質"だけでなく「暴力を暴力で塗り替えられるウクライナの実情に終止符を打つ」という監督そのものの"怒り"までも投影された傑作でした。
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