あもすけ

いちごの唄のあもすけのネタバレレビュー・内容・結末

いちごの唄(2019年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

イヤホンをつけて曲が流れた瞬間に、世界が変わる。抱えた問題は問題のままあり続けて、イヤホンを外せばなんにも解決してなくて、そんなことは知ってるんだけど、それでもその瞬間、目の前の景色が違って見えて、胸の内に渦巻いている世界の有り様も巻き込んで、自分が思っている広さの世界だけは、本当に変わる。ぽあだむが流れた瞬間が全てと言ってしまいたくなるくらい、わたしが知っているそのままの、音楽に救わている時間だった。

銀杏BOYZの歌詞の世界というよりは、それは言葉がところどころに繋がってるみたいな感覚のとこで、銀杏BOYZの音楽が存在している世界のどこかの可能性のひとつみたいな物語だった。

登場人物とか物語への距離っていうのがけっこうあって、そこに一喜一憂してる温度は、峯田が演じてる野球帽被ったラーメン屋の親父が一番近いのかもしれなくて、部分的に重ねながらもずっと他人の人生としていろいろ思いながら、無責任なヤジが頭に浮かぶような、そんな感じに観てしまっていて、犬人間聴いてしょっぱい顔して全然わかんないって言ってた父親が面白かったのの延長線上みたいな、同じような目で彼を見てたのかもしれない。だって銀杏好きすぎるから、そんな簡単に誰かの思い入れにシンパシー感じるなんてできないくらい好きすぎるから、それでも、あの場面までのそういう気持ちが全部織り込み済みなんじゃないかっていうくらい、ぽあだむ流れた瞬間に全部が違って見えてしまったのだった。

それぞれが問題に立ち向かうとき、BGMで流れたりしない。根本的になんとかするときは自分でなんとかするしかないし、どうにかしようにもどうにもならないままのことだっていくらでもあるし、それでも音楽に救われてると思うのは、だってあの時間がなかったら生きていられないし。それで、自分の体験としてはあっても、誰かのその瞬間を見たことって多分なくて、だってイヤホンで何聴いてるとか傍から見てわかんないし、こういうことがあったという言葉は聞いたり読んだりできても、見るのって難しいから、それがフィクションの映画のなかで見られたのが、ほんとに自分の知ってるそのものだったことに震えたし、熱くなった。

すごく生活のにおいが濃くて、唾のにおいがしてきてもそれはベロベロのベチャベチャなにおいじゃなくて、マスクしてクシャミしたあとみたいな、そんな感じだし、生活のなかに銀杏の音楽が存在してるのって、自分を俯瞰で見てもそんな感じだし、でもその目に見えてる主観の世界をどれだけ変えてくれているのだろう、というのを改めて思ってた。

そして最後にかかる主題歌のいちごの唄で歌われているのが、この作品の物語と世界で、その多重に染め合うみたいな感じがロマンチックすぎる。買ったCD聴きながら、色んな場面を思いだして、最初に観てたときとは違った見え方で捉えてしまってるのが、もうそのものだった。
あもすけ

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