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ジョーカーのminoriのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
3.3
追加:10/2(水)鑑賞(丸の内ピカデリー ドルビーシネマ)

2回目の試写。
今回は10/4オープンの、丸の内ピカデリー3 ドルビーシネマでの先行上映で鑑賞。

ドルビーシネマというだけあり重低音の振動が座席からビリビリと全身に伝わってきて、一つの演出装置としてかなりの効果を発揮していました!

そして以下作品に関して…


アーサーにとっての「笑い」は「悲しみ」
ジョーカーにとっての「笑い」は「狂喜」

人は仮面を被る事で別の人物に変身し、時に大胆な行動に出ることもあるが、アーサーの場合はジョーカーという仮面を被る事で本当の自分に戻り、常に大胆な行動に出る。

様々な人間や社会の本質を体現していると同時に、観客自身のモラルを問う作品だと、改めて感じました。

まあ概ね1度目に観た時と同じように、あんまり個人的には嵌らなかったし、展開も割りと在り来たりだと感じたけれど、やっぱりホアキン・フェニックスの役作りや身体の使い方は見事だった。

そして、まるで現代社会の写し鏡のような設定や台詞群は非常にリアリティがあった。

しかし、リアル過ぎるからこそ、この作品を「賛美」し過ぎてはならない…と個人的には思う。
良作は良作だが、この作品が現実世界に及ぼすであろう影響を考えると、あまり手放しでは賞賛出来ない気がするのだ。
考え過ぎなのかもしれないが、実際2012年の『ダークナイト・ライジング』公開時に起きた銃乱射事件が、どうしても頭をよぎってしまう。

人間は往々にして、自分に無い物(才能や容姿、性格、金、地位etc...)を持つ他の人間を羨んだり、憧れたり、カッコいいと思う傾向がある。

そして「人間は善人であるべき」という前提があるこの世界で、ヴィラン(悪)のキャラクターがヒーローたちよりも人気を得る事があるのも、やはり其処に要因があるように思える。

何故ならヴィランたちは、現実世界で私たちが「やってはいけない」と教えられている犯罪行為をいとも簡単にやってのけるからだ。
その姿を見て、「自分には出来ない事をやってのける(=自分には無い、自由や悪の側面を持つ)あのキャラクターはカッコいい」と本能的に思うのは当然のことだろう。

故に人間は、同じ人間よりもヒーローに憧れ、ヒーローよりもヴィジランテに憧れ、ヴィジランテよりもヴィランに憧れる傾向が少なからずあるのだと思う。
勿論、全ての人間が全員そうだとは思わないが(事実、私自身はヴィランやヴィジランテよりも、ヒーローが好きだ)。

しかし、ヴィランに憧れる人々が多いのも、こういった人間の本能によるところが大きいのだろう。

ジョーカーというキャラクターを最終的に「シンボル」として描いている本作は、映画的には良作ではあるが、賞賛すべき点を間違えてしまわないよう、我々観客側も肝に命じて鑑賞するべき作品だと、個人的に思いました。

それと全編を通して、監督はジョーカーというキャラクターを描きたかったというよりも、自身の意図や主張を表現する為の「手段」として、ジョーカーというキャラクターが必要だった…という風に感じられて、何処か釈然としなかった。

加えてちょっと引っ掛かってるのが、本作に関するインタビューでのトッド・フィリップス監督やホアキンの回答&反応。

米BuzzFeedの記事によると、ヴァニティフェア誌のインタビューでフィリップス監督は「差別に対して敏感な最近のカルチャーのせいで(不謹慎な)コメディが撮りづらくなった。だから自分はコメディをやめて、『ジョーカー』を撮った」という主旨の発言をしたらしく、少々憤慨してしまった。

つい先日の大坂なおみ選手を侮辱したお笑いコンビと同じようなもので、人種や性別による差別をネタにしたり、傷付けられる謂れの無い人たちを傷付けることでしか「笑い」を表現する事が出来ないと思い込んでいる時点で、由々しきことではないだろうか?

誌面やネット上の記事と言った文字媒体のインタビューの場合、編集者の手によって発言が改竄される事がままあるが、もしこの発言が監督本人の言葉であるならば、見過ごす事はできないだろう。

歪んだコメディ観の映画を撮れない代わりに、ジョーカーというキャラクターの設定や性格が利用されたのかと思うと、正直腹立たしい。

更に英The Telegraphのインタビューで「この作品が図らずも現実世界のアーサー=ジョーカーのような人々に刺激を与えることで、最悪の事態を引き起こす事が心配ではないか?」という質問に対して、ホアキンが言葉に詰まり、部屋から出て行ってしまった…というのも、なんだかなぁと思う。

狂気の塊のような世界的ヴィランを自分が演じることで、犯罪を肯定・助長する影響を人々に与えるかもしれない…という可能性を理解した上で、役を引き受けたのではなかったのだろうか?
そういった反響や質問は織り込み済みなのだろうと思っていただけに、ホアキンが動揺したという事実にちょっと驚いてしまった。

なんにせよ、この作品は色々な意味でしっかりと考え、受け止めなければならない作品なのだと感じられました。


9/13(金)鑑賞(ワーナー神谷町試写室)

正直、あんまり響かなかった…。
いや単純に良い映画だなとは思うし、沢山の人が絶賛しているのも十分理解出来るのですが…なんかそこまで持ち上げるほど、か……?と思ってしまった。

全体的には、よくあるインディペンデント系の作品を観ているような感覚で、脚本自体も割りとミステリー物とかでよくある設定や流れだった。(それゆえ大体の展開が読めてしまったので、これもあまり響かなかった要因の一つかも)

他のインディペンデント系作品と大きく異なる点を挙げるとしたら、この映画の主人公が「ジョーカー」であるということ。

これが「ジョーカー」というキャラクターを題材にしている作品ではなく、普通の、オリジナルの映画の主人公の物語だったら、多分ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を獲っていなかったと思う。

ただ、この映画は「ジョーカー」というキャラクターだからこそ成立する作品なんだけど、それでいて「ジョーカー」を描いている作品ではない。

うーん、ネタバレせずに書くのは難しい…ネタバレしても難しいかも…(苦笑)
まあ個人的に捻くれてる性格なので、斜めから捉えすぎてるのかもしれませんが。

ジョーカー版『マン・オブ・スティール』だと思えば、なんとなく納得できる気がする

ホアキンの演技は凄かった。
そこに助けられてる部分が大きい。


取り敢えず今はMoSとBvSとJLが観たい(笑)
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