【2020年128本目】
みんな、騙されちゃいけないよ!
いろいろな考察があるけど、僕は「車の上で崇められるシーンまで全てが妄想」を推したい。
原作のジョーカーは、明確なオリジンのない唯一無二のキャラクターだ。
そして、バットマンに執着している。
そんなキャラクターの過去が描かれる、今作。
見ないわけにはいかないでしょう?
だとすれば、鑑賞する側はなにを期待するか?
もちろん、彼が悪に染まるにはどれだけ悲しい過去があったかどうか、だ。
障害者で、貧困で、誰にも見向きのされないアーサーがジョーカーになる過程を描く今作。
んん?ちょっと待ってくれ。
この映画でジョーカーに感情移入してしまったんじゃないか?
これが、ジョーカーの思惑だと思う。
みんな見たいよね?俺がなんでこんなになっちまったか?気になるだろ?
そうだよねえ、じゃあこんな話はどう?
ラストシークエンスで面白いジョークを思いついたと言うアーサー。
これは今までの全てが、ジョーカーによる空想のオリジンだったことの証明だ。
ジョーカーにとってこの映画は、ジョーク。
弱者の視点から生まれるジョーカーに同情をする人、それを作る社会を批判する人、この映画を見ることによって交わされる議論、全てがジョーカーには面白くて仕方がないのだ。
こんなに狂っている俺が作った話にマジになっちゃってるじゃん?
階段の高低差がキーになる今作だが、それは空想に限っての話だ。
ラストシーンで光り輝く廊下をただただ真っ直ぐに歩いていくアーサーこそがジョーカーであり純粋な悪の道をただただ進んでいくだけなのだろう。
バットマンのオリジンに繋がる展開もご都合主義すぎる。
ともすれば、バットマンに執着するジョーカーの粋なファンサービスとしか思えない。
散々作り話説を推させていただきましたが、それでもこの物語は真理をついてる。
ジョーカーが思うジョークは、現実世界こそ最大のギャグ漫画と捉えてるからなのかもしれない。
映画の虚構とジョーカーの狂気は相互性が良すぎるなあ。