せーじ

ジョーカーのせーじのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.7
231本目。

観終わった後、シネマイクスピアリの土曜日午前中の回でこの作品を観ることにしたのを、自分は猛烈に後悔した。なぜなら終わったのが丁度昼時で、イクスピアリや舞浜駅前には沢山の「幸せそうな奴ら」が秋の休日を楽しんでいたからだ。


(ぶち壊してぇ…)


自分自身の奥底に眠っている、いや、観ないふりをしてきていた感情が、たちまちムクムクと頭をもたげてくる。


(こんなロクでもない人生、こんなロクでもない社会、何もかも滅茶苦茶にぶっ壊したっていいんじゃねぇの?)

(だってどうせロクでもないんだし)

(既にそうしているやつらだって現実に世界中に現れてきているんだし、どうせ最後にゃ何にも残らないんだからド派手にやっちゃえばいいんだよ)

(きっとそれは楽しいし笑えるぜ?)

(最高の"ジョーク"になるに違いないんだからさ…)


甘くか細い声で"そいつ"は囁いてくる。
いつの間にやら自分には"そいつ"なんて存在し得ないものだと思いこんでいたけれど、そんな訳は無く。自分の中にも、確かに"そいつ"は存在しているんだ、ということを嫌という程思い知らされてしまった。この映画を観ていて自分はつくづく、"そいつ"の存在を否が応でも意識させられるような、向き合わなければならないような、そんな気持ちにさせられてしまったのだった。

※※

だが、同時に自分は知っている。

こんなどうしようもない、ロクでもない人間なのに、手を差し伸べてくれる人が、モノが、存在があることを。

こんなどうしようもない、ロクでもない社会なのに、時々奇跡の様に人と人との心が響き合い、繋がりあう瞬間があるということを。

そして、時々本当に、もう駄目だと思われてきたことが、鮮やかに覆されるような出来事があるということを。

だから、どんなに絶望的な状況でも、勝手に絶望してはいけないということを。

たかだか数十年くらいしか生きていないし、どうせあと数十年くらいしか生きられないけれど、しっかりと刻み付けられたそれらがあるから、今日まで自分は"そいつ"の言葉に惑わされずに済んでいたのだと思う。それがあるから、明日も明後日も十年後も死ぬまで、ようやくどうにか穏やかに生きることが出来るんだろう。

もちろんこれまで観てきたいろんな映画や小説、音楽などの創作物が、自分をそうさせてくれていたというのは、言うまでもないことなのだけれども。

※※

今日、自分はこの映画を観て
自分に手を差し伸べてくれる存在を
自分を豊かにしてくれるモノを
そして、"そいつ"が棲んでいる自分自身を
心から大切にしていこうと強く思うことができた。


ありがとう、JOKER。教えてくれて。
でも、もうちょっとこの場所であがいてみることにするよ。
無駄なことなのかもしれないけど。
せーじ

せーじ