こなぱんだ

ジョーカーのこなぱんだのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.0
前評判が良すぎるのと感想を結構目にしてしまっていたのでハードルかなり上がっていたのですが、それを踏まえても素晴らしかった……
いや、素晴らしいという言葉は相応しくないかもしれない

一言で表すと「映像的実存をいかにして手に入れるのか」という話だと思ってるのですがそれにしても少々説明過多だったのでは…………と思いつつ、

その長さがあるからこそ最後の祝祭のシーンが感動的なんだろうなと思いつつ。

前提として私は全くMARVEL及びアベンジャーズ、アメコミのファンではないのでそのような思い入れは全くありません。

私はJOKER以外のMARVEL作品ほとんど好きではないですし、魅力も全くわからない……だからこそこの映画は好きになれたのかもしれない(ヒーローものがことごとく好きではないのです)

「映像的実存」または「映像的実在」をいかにして手に入れるのか。そもそも映像はただの「像」でしかないので、登場人物は主人公にしろモブにしろ全くその存在は何にも担保されていない、むしろスイッチひとつで消えてしまうような存在であると。

そのような存在である「彼ら」が、「実存」を手に入れるためには「映画」と観客である「私たち」の関係においてでしか成功しえないことなんですよ(泣ける)。だからこそ「映画」という芸術は観客がいて初めて成り立つものだと思っています。

JOKERにおけるアーサーは、いかにして「映像的実存」を手に入れるのか、と悩んでいるように見え、それを示すかのように、地下鉄で人を殺してから明らかに生き生きと画面に映るようになる、その演出が本当に本当に素晴らしい。多用されるアーサーの後ろ姿の反復カット、それだけでアーサーが生き生きとしてくることがわかるし、

逃れられない観客の目(=カメラ)から何度も逃げようとするけど逃げられないアーサーが、テレビに出演したシーンにおいて最後、カメラを掴んでメッセージを発信する。カメラの前で逃げずに踊ること、まさに「道化」であり、その積み重ねをするからこそ、ラストカットで有り得ないはずの足跡が画面に映る。また後ろ姿の反復!!!!

この反復カットにおいて、それまでと違うことは足跡が映ること。それこそ彼が「映像的実存」を手に入れたことの証左となりえるんじゃないか!?と思って号泣してしまった。

あと気になったのは「fxxk off system!!!」というセリフが「クソッタレ社会!」みたいに翻訳されてるのは少し違うんじゃないか?と思った。「社会」が間違っているなら本当に「社会」からはじき出されようとしている人間VS社会内部の人間、ということになってしまう。

そんな簡単な二元論ではないと思うんですよ。そもそも社会から完全にはじき出された人間などほとんど存在しないわけで、何かしら社会という枠組みによって守られている部分があるはず、そして社会システムを作ったのは我々人間だし、仕事して働いたり、電車乗ったり生活するだけで確実に現存の社会システムを動かす歯車として作用してしまう部分が誰でもある。その社会システムに不満があるなら革命してシステムを破壊し、新しいシステムを構築するしかない。
けれど、やはりJOKERも最終的にはカオスを取り戻そうという祝祭のみに留まっていて、そうすると現存のシステム自体はなにも変わらないのよな~~と苦い思いでした。祝祭シーン、ぶち上がるんですけどね。

アーサーも結局は自分「父権的」存在であるあの市長を殺せてないしね……つまり勝手に父親殺しをされたあの子供がアーサーを殺す話になるんですか?本編は??(全く無知なので違っていたらすみません)

というわけなので、アーサーを救うなら(映画を見ていたら誰しも救いたいと思っちゃうんじゃないかしら、そこがこの映画のすごいところでもありますよね)、愛しかないんですよ。もうね、これは他に方法がないですよ、、もしくは自分がシステムを作る側になって内側から破壊するかですが

ここで本当にこの「映画」が素晴らしいのは、映画館という暗闇で1人で見た私みたいな人間は、映画館という空間においてアーサーと1対1で向かうことができるわけで、そして映画館においてはそんな人間が少なくともあと何人かはいるわけで、そうすることによって「孤独」を味わうことができる、1人1人は孤独だけども「祝祭」のシーンでぶち上がれる、それをアーサーとおそらくは「共に感じる」ことができる(はずな)のです。その意味で、アーサーを「孤独」から救うことができるのは私たち「観客」なのであり、そしてまた、私たちも救われる、映画というものがそのように機能するということが、本当に泣けるし本当に素晴らしいと、私は思います。
こなぱんだ

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