ようすけ

ジョーカーのようすけのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.1
この映画のセリフにもあるが本作は【主観で見るのか、客観で見るのか】

主観で見ればこれは主人公のアーサーがジョーカーへとある意味堕ちていく「悲劇」、客観で見ればアーサーが社会の中で「ジョーカー」としての役割を見いだし成り上がっていくある種の「喜劇」だ

この映画のファーストカットは清掃員のストが18日目に入ったというラジオの放送から始まる。現在のアメリカのみならず、日本をはじめとする世界中の社会状況のように弱者が見捨てられ、貧富の格差がどんどん拡大していく社会の中に対峙するために、狂気を纏うことでしか自分を保つことのできないような中、トゥレット症候群で笑いを抑えられない、優しくも気弱な主人公は世間からの怪訝な視線に度々晒されながら、そんな中でもがきながら、病気持ちの母親と2人で生活を送る

彼はトゥレット症候群のせいで笑ってはならないときに笑ってしまう、辛い時、悲しい時、人の不幸に遭遇した時、誰よりもその人のことを思い、心を痛める優しい彼は、それをまるで喜劇としてみるかのように笑いが止まらなくなってしまう

そしてそんな彼が病気のために笑うことをしなくなった時、つまりは本当の絶望に立たされた時、自分の存在が風前の灯とばかりに消えかかった時、ジョーカーとなり世界の偽善を問いただす存在へと昇華する

観客は映画の間中、かなり揺さぶられる筈だ
まるで『スリービルボード』を見ている時のように誰が真の悪なのか分からず、信じてたはずのものが全く心の頼りにすべきものでなかったと分かり、混乱する
さらにはアーサーが主観で見ているものが現実かはたまた逃避のための妄想なのか分からず、まるでアーサー本人のように、映画の中に取り残されていく

そして実際の現実とゴッサムシティの状況とを考えれば、彼に感情移入し主観的になるのは必至だろう
そんな観客にとっては彼は史上最高のダークヒーローの1人に映るはずだ

ただ僕はそれについてはかなり懐疑的だ
やはりジョーカーは悪なのだから
アーサー自身も自分が堕ちていく感覚に気付いているはずなのだ、だからジョーカーは片目からしか涙を流さない
自分の状況を笑い、泣いているのだろう

この映画をどのようにみるのか気付いたとき、まるで『ダークナイト』のジョーカーがしたように、見る人の善悪が試される

希望と絶望がずっとシーソーゲームをしていて終盤にかけて一気に絶望の方へと傾く、とてもきれいにできた作品だと思う。
でも予告のどきどきは上回ってこなかったかなー、
そして頼むから、シリーズ化しないでくれ、、、