けんたろう

ジョーカーのけんたろうのネタバレレビュー・内容・結末

ジョーカー(2019年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

カイジもびっくりするほど社会のド底辺だった男(アーサー)が、社会のルールから抜けた存在(ジョーカー)になるおはなし。


(2回目を観たので1番後ろに感想追加しました。)



鑑賞後数日間ずっとこの映画のことばっかり考えていて、やっと結論に辿り着けたので投稿。

はじめに言わせてもらう。
これは間違いなく大傑作であり、面白いの2万乗をゆうに超えている。
ホアキン・フェニックスの泣き笑顔なんてもう…
それに随所で流れる音楽のセンス素晴らしすぎます



なんてずっと言ってもいられないから、とりあえず順を追って見ていこう。(自分の頭の整理も兼ねて)

貧困、親の介護、自らの病、救いようのないギャグセンス、不寛容な社会、不寛容な人々…
挙げたらキリのない苦しみを味わうのが今作の主人公アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)だ。


彼は物語の中で、同じ階の女性といい仲になり、自分の出生の秘密には微かな希望を持ち、そのうえ夢を持つ。
最愛の母が待つ家へ帰るため、毎日階段を上る。

背中には不幸を滲ませるも、慎ましかな幸せを持ちながら生きていた…



しかしアーサーは知ってしまった。
今まで無意識に思ってきた当たり前の自分(アーサー)は存在しなかったことを。

全てのアイデンティティが無となった彼の階段を下りる様の高揚感、これを観るために来た人はきっと僕だけではないはずだ。
悲劇を上るアーサーと喜劇を下りるジョーカーの対比は見事といえる。


だがこれもまだ100%ジョーカーではない。とても印象的で魅力的なシーンではあるが、まだクライマックスではない、つまりはまだジョーカーではないという事だ。
現に彼はこの時点でまだ"アーサー"と呼ばれている。

あくまでもこの映画は、徐々に徐々に変化するのであって、一発で変わる劇的な人生なんかではない。


まぁ無駄口はいいとして。

それまで彼の欲望の覚醒は、彼のフィールド内でしかなかった。それが起こした出来事に民衆は歓喜し狂乱し、彼はそれに多少嬉々とするが、彼にとってそこまで大事ではない。
大事なのは彼自身とその周りのことだけだ。

だが表舞台に上がる(自分自身とその周りというものが全て消える)ことで、彼と民衆がついに合流する。

ジョーカーが生まれた。

危ない存在とは分かっている。だがそれでも大きなカタルシスを感じてしまう。
ぼくは全身の毛が逆立つほどの興奮を覚えた。
かかる曲と舞と歓声には文字通り感涙である。

いつの間にかジョーカーの歓びはぼくの歓びとなっていたようだ。


その後の、車窓のカット、病院のラストシーン、コミカルな逃走劇…

たいていのアメコミ映画における魅力的なヴィランはヒーローと対の存在であり、常にヒーローの目線で語られる。
だからこそ今作のジョーカーがこれまでと全く違うアプローチで描かれ、それが魅力的に映るのは、すごく面白い。
今作を踏まえて過去のジョーカー出演作品を観る必要があるとさえ思ってしまうほどに面白かった。


アーサーは悲劇を生きてきた。それを喜劇としたジョーカーは人道を俯瞰する存在で、つまり人道から外れたといっていえる。

この映画にあったのは、理想とはしていけない理想であった。





と、ここでレビューを終えるわけにはいけねえ‼️


この映画には一つトリックがあった。
ご存知だろう、事実と幻想の混同だ。
これにより、どこまでが事実で、どこからが幻想なのか全く分からなくなった。


そういえばかつて『ダークナイト』のジョーカーは、自らの口について複数エピソードを紹介していた。
それらの事実か否かが明らかにならない事は、(おそらく事実ではないのだが)ジョーカーに恐怖心を持つ一要素であったと色んな人は言っている。
要は、お口の話が事実だろうがそうでなかろうが関係なく、そこが分からないのが重要だということだろう。


話を戻そう。
事実か幻想かが分からなくなったとき、
(もっと言うと、『キング・オブ・コメディ』を観た事によって生まれた「彼女は事実の存在だ」という固定観念を覆されたとき、)
この映画は主人公の目線オンリーで描かれていることに気がつく。
そしてその目線を担当しているのがジョーカーであることにも気がつく。

このジョーカー誕生譚において、事実か幻想かなどどうでもよかったのだ。




そんな今作。
色んなシーンから色んな考察を導く人、あのスタイルに美的な影響を受ける人、ちょっとアブナイ影響を受けている人、自分の政治的主張に利用する人、、、

本当に多くの人達が色んなベクトルで今作を観ている。


そういえばかつて『ダークナイト』のジョーカーは、良いヤツ悪いヤツ表のヤツ裏のヤツの感情や行動を操りまくった。
たった一人の男に、上手く踊らされた人達の人数は計り知れない。


話を戻そう。
たった一本の映画に、面白いつまらない論争をしてる人達や、危ない危なくない論争をしてる人達の人数は計り知れない。




映画を観て数日間SNSを開けばジョーカージョーカージョーカージョーカー。
かく言うぼくも数日間ずっとジョーカージョーカージョーカージョーカー。

ここ(世界中)は『ダークナイト』におけるジョーカー登場後のゴッサムかと思ってしまう。もちろん僕はその世界の住人だ。

僕ははじめ彼の物語を悲劇と観てしまったが撤回しよう。

映画を観た全ての人達を笑う声が聞こえる。

この映画の名は、JOKER






【2回目丸の内ピカデリーにて】


「かつて映画は芸術であり娯楽だった。」
映画『CUT』で主人公の秀二(西島秀俊)が呼吸するが如く放っていたセリフだ。

一度目に僕がこの映画すなわち「JOKER」を観た時、完全に娯楽としてでしか見ていなかった。
しかし貧困層を嘲る富裕層に銃弾をぶち込む姿を強烈に映した今作が、何のメッセージも持たないなんてそんなバカな話はない。

秀二さんも今作にはキレないでいただけるのではと淡い期待を抱いている。(叶いもせず叶わぬもせずな期待ではあるが)


二回目なので、アーサー/ジョーカーの言葉をかいつまんで見ていきたい。正確に憶えてはいないが、ニュアンスはだいたい合っているはずなので、ご理解の程よろしくお願いしまんすん


「何を喜劇とするかは主観による。善悪だってそう。」
本当にその通りだ。これが世界中の争いが止まない要因の一つであるのはわざわざ言うまでもないことだ。

この時の彼の怒りがどうか伝わって欲しい。
その怒りを蔑ろにしてしまえば、ジョーカーのようにそれを利用する人物が生まれてしまう。



「理解できるはずがない」
いいや理解しなければいけない。たとえ理解できなかったとしてもだ。
既にジョーカーと化した彼の言葉は魅惑的で随分と誘われている気もする。だが我々はそれに対してNo!と強く突きつけなければいけない。


強い者が弱い者をいじめ、弱い者がさらに弱い者をいじめる。
こんな悪夢の世に、今作は燦然と輝き続けることだろう。