ブラックユーモアホフマン

ジョーカーのブラックユーモアホフマンのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
3.4
今年、川崎で殺傷事件が起きた時、ネットには「死ぬなら一人で死ね」という言葉が溢れた。この映画を観て「ジョーカーかっこいい」と言う人と、あの時そう言った人は同じ人ですか、違う人ですか。

ラッパーのPUNPEEはラジオで「やり方は正しくないけど、この映画のジョーカーは今の時代にとってある種ヒーローとも言えると思う」と言った。PUNPEEはラッパーとして大好きだけど、その意見には同意しかねる。

ジョーカーをヒーローにしてはいけない。問題はジョーカーみたいな人をどう生み出さないかだと思う。ディスコミュニケーションと想像力の欠如が悲劇を生む。

この映画は今の時代にとって大事な議題を投げかけていると思う。そういう映画を沢山の人が観ているという状況は喜ばしい。(どの立場から言ってるのか分からんけど)しかしこの映画をどう受け取ってどう話していくかがさらに重要だと思う。

隣に座っていた若い男子2人は明るくなった場内で「胸糞悪かった」と話していた。その2人がこの映画をそう受け止めたことは僕にとっては嬉しい。(どの立場から)でもただそれだけで終わって欲しくない。ただ一つの映画の感想として流れていって欲しくない。映画は全部嘘だけど、現実に続いていることを考えて欲しい。

重要なテーマの映画だとは思う。が、
金獅子?本当に?

アーサーの主観で語られる。妄想と現実の区別がつかないようになっている。画作り、カメラワークもその前提で作られている。精神を病んだ人の視点を共有させられる。だからわざと観ていて混乱するように組み立てられている。計算の内なんだと思うが、どうにもそれが合わなかった。単純に下手に見える。いや本当にただ下手なのかもしれない。

カメラワークや美術から、もちろんストーリーからも、イニャリトゥの『バードマン』を思い出した。あちらは元バットマンだったけど。でもそれも必然的かもしれない。

思ったよりちゃんとバットマンの映画だった。ちょっとネタバレかもしれないけど、色んな意味でバットマンとジョーカーは同時に生まれたつがいの存在なのかもしれない、ということの新しい示し方をしていたのはちょっと面白かった。だから『バードマン』と似てるのは必然的かもしれない。
やっぱりジョーカーとバットマンはコインの表と裏なんだ。この2人が生まれてしまったことが悲劇だ。

話は逸れたけど、『バードマン』も妄想と現実をない混ぜにして描いていたけど、あっちの方が整理されてて見やすかった。

見やすさとかじゃなく完全に没入するんだという試みは理解できるけど、結果やっぱり好きではない。し、やっぱ単純に下手な部分もあったと思う。その言い訳に使っちゃいかん。

普通に『タクシードライバー』や『キング・オブ・コメディ』の方が上手いし面白い。ちゃんと対象を突き放した目線を持っている。要はチャップリンの言う喜劇として作っているわけで、本作は悲劇として作っているんだけど、僕は喜劇の方が好きなんだ。逆『モダンタイムス』なんだよな。でも喜劇の目線がないとキツい。だからジョーカーが神格化されかねない。観客一人一人にジョーカーを対象化する目線か、もしくは自分事として真摯に捉える視点がないと危ない。でも全員にそれを期待することはできないし、そのどちらでもない人も多いんじゃないかという気がしてしまう。だから喜劇にするしかないんだよなぁ。難しい問題。

音楽うるせえ……。

キャストは好きなんだけど、キャスティングとしてはあまり好きじゃない。ジョーカー役をホアキンにやらせるってのがそもそも芸がない。「アトランタ」組から2人もキャスティングするってのも芸がない。オマージュ元のデニーロ本人を出すってのも芸がない。

ちなみに『タクシードライバー』と『キング・オブ・コメディ』はもちろん、『グッドフェローズ』もあった。アーサーがドン滑りするあの場所は『グッドフェローズ』の有名な長回しのシーンのあそこだと思った。

そして「何がおかしいんだ?」ってセリフを聞くとやっぱり思い出してしまう。
キャストで言うと刑事役で出てた、『ワイルド・スピード』シリーズとか『コップ・カー』とかのシェー・ウィガムも前から好きなんだけど、なんで好きなのかこの映画を観て分かった。顔がちょっとジョー・ペシに似てるからだ。

地下鉄のシーンと最後のテレビは良かった。