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ジョーカーのruublueのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
3.7
ジョーカー
視聴 10月13日

「人を作るものは境遇か、DNAか」
「貴方の主観は他人に作られたものではないか」 ジョーカー誕生前夜の主人公アーサーが観る人の倫理観や心の琴線に投げかけてくる映画。得意なジャンルではないがアカデミー確実と言われる作品の手触りを確かめに行く。事前練習で以前の同シリーズを観て気持ちが折れたら元も子もないので今回の予告編をフワッと見ただけで参戦しました。

蓋を開けると。主演のホアキン・フェニックスの演技を超えた演技に圧倒される。笑い声もさることながら、全ての感情をたたえた様な深みのある眼差しに引き込まれる。この映画はホアキン一人の演じる狂気で始まり、終わると言っても過言ないと思いますが”ジョーカー“を自己に完全に同一化させる能力を持つホアキンの全身全霊の演技、そして彼の演技の源泉となる個性や背景に多くの人は心掴まれるのだと思う。素晴らしい俳優さんだと思いました。


(少しだけ本編を振り返って) アーサーに起こる個人的な不幸の連鎖。舞台となるのはゴッサムシティ。アーサーの行動が市民のゲリラ的な蜂起に繋がって行く。決してアーサーが先導した訳でなく意識下で同調する集団心理を背景に、孤独な男の悪意と狂気が権力を得る時、ピエロの仮面が脱ぎ捨てられる。この部分は予告編でも何度も観たのだが上手い構成だと思った。



「ヤバい映画」との前評判だった。
さて、映画館を出て自分がどうなったかと言うと特に異常ない事に安堵させられた。映画とは言え理不尽な殺人など理解のピークを超えたら人間、もうその先を食べさせられても味覚がゼロになる事をこの映画で知った。

だが観終わって一週間ほどは頭の中がとっ散らかり感想が書けない副作用が。単にアメコミではなく社会派映画でもある本作、咀嚼に時間がかかる確かにヤバい映画でした。


(印象に残ったシーン)
① 笑い病のアーサー。笑うポイントを統計的に見たところ、アーサーに不運が訪れた時に発作的に笑うのだ。不幸な事に笑いでバランスを取る、笑いはお母さんとの約束を守る意味もある。両方の意味が哀しい。

② 自分にとって大切な人も躊躇なく殺害する。アーサーの目には自分を貶めた存在としか見えない。物語中盤までの彼なりの“聖戦”の範囲を超えて視聴者との心の距離が大きく開いた部分のように思いました。

③ 階段がアーサーの心情を語る象徴的な場所となっている。我が道に覚醒したアーサーが階段を降りて行く。転落を表しているのだろうが、冒頭で階段を登るシーンの足取りは重く苦しみに満ちた日々の象徴として描かれている。登りが苦しみに、下りが喜びに。己の持つDNAに覚醒した彼の圧倒的な負のオーラが解き放たれる場面として本編ラストよりも目に焼き付いたシーンでした。
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