ヨヨ

ジョーカーのヨヨのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.5
バットマンシリーズにおけるジョーカーは度々、これから殺す相手に自分の「オリジン」…なぜ自分がジョーカーになったのかを語って聞かせるが、話すたび内容が全然違う。無数のでたらめな「ジョーカーになった経緯」の乱反射による内面の見透かせなさがジョーカーの大きな魅力で、この映画もそんな「オリジン」のバリエーションだ。物知り顔の人々は貧困と無敵の人の映画としてまことしやかに解釈・受容しているが、彼らこそジョーカーの嘲りの対象であり、ピエロの仮面をつけてヒーローを祭り上げるフォロワーたちであり、アーサーが「理解できないさ」と言うのも彼らに向けてなのだ。
…という感じのマウンティングレビューをツイッターで見たのが興味を持ったきっかけだった。そうでなくてもこの話題作に集まった言説を(半強制的に)だいぶ摂取してから観たので、初見なのに確認するように観てしまったというか、他人の感想先行型の観かたをしてしまったのは否めない。

ベタにアーサーに寄り添って観れば、ここまでわかりやすい映画もない。アーサーの憤りはやたら丁寧に台詞で説明されるし、たいへんシリアスな社会問題がたいへん共感しやすい形で暴力へと結実する物語だ。しかし、この映画をまともにジョーカーのオリジンとして観ると、説明的であんまり面白い話ではないし、内面の不透明さに肝のあるジョーカーという人物との食い合わせも悪い。ジョーカーがいつも笑っているのは病気だからなのだ!というのは、我々の欲望には沿わない(もちろん、欲望に沿って人物を祭り上げてしまう我々への皮肉としてみることもできるが)。

するとやはり、おもしろい観かたを探るべく、この映画における現実と妄想と虚構の境について考えざるを得ない。最初にあげたツイートの言うように全部ジョークである可能性から、アーサーにとっては全部主観的に真実である可能性まで、すべて見出しうる。あらゆることが宙づりになっており、観たいように観られてしまう。何でも言えてしまう。が、そのすべてに「理解できないさ」の呪いがかかっており、どの解釈を採っても嘲りの笑い声が聞こえてくる。この不明瞭さこそがジョーカーだ、とか、それらしいことを言って全力で逃げるほかないように思われる。


あの印象的なチェロをはじめとする、重苦しく湿った音響の中、銃声だけは乾いた轟音を鳴らしていた。
たくさんの映画からのオマージュが指摘されているが、リフレインされる赤・くすんだ黃・空色の組み合わせって『気狂いピエロ』っぽいよね。というよりピエロって元々そうか。

僕はこういう、最後に曖昧に反転して濁して終わる上品な映画、たいへん好きです。
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