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ジョーカーのmoviemanのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
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 点数の付けどころに困る作品でした。結局、何点か未記入という、、、

 まず、ストーリーをざっと説明すると、主人公のアーサーがどのようにして、殺人鬼、悪のジョーカーへと変貌していったのかを描いています。あの心優しい、人を笑せるコメディアンを目指していたアーサーがなぜ、殺人鬼ジョーカーになったのかという、その過程の物語ですね、。

 この作品は、何回も観てアーサーの発言一つ一つを拾っていかないと、なぜアーサーがジョーカーになってしまったのか、住んでいる環境もそうだが自分はそういった環境で育った事はないし、アーサーがどのような考え方をしているのかを、自分には完全に理解出来なさそうです。

 その中でも作中のアーサーの発言で、すみません発言のネタバレが少し出ちゃいますが、、、
気になる発言があったので話しますと、
 「皆、善悪を主観で決めている、だったら自分にとっての善悪は笑えるか、笑えないか、だ。」
調べたところによると、、、
 〈主観的〉…頭の中で考えた自分にしか当てはまらないこと。
一方対義語の方は、、、
 〈客観的〉…具体的な数字を使った事実など、自分以外にも広く当てはまるもの。

 冒頭のなぜ、悪のジョーカーへと変貌したのか?と言いましたが、その悪という言葉は、自分は主観的に決めてしまっているのか?
ただ、人殺しは法律に違反することであるから客観的に見ても悪と言えるか?
でも法律はそもそも客観的に作られているのか主観的なのか、、、?客観的だとは思うのだか、、、。
 
 アーサーは殺人鬼へと変わってしまった、殺人鬼という事実には変わりないが、その行為がアーサーにとっては悪ではないと言う事だ、その行為はアーサー自身が主観的に考え、善だと判断して殺っていると言うことになる。
 普通、人を殺してしまったり、何か悪い事をした後は反省するし、その事実を無かったことのように隠蔽したりする人もいるが、その人たちは「自分が悪い事をした」とは思っているのだ、、、。
 ただし、ジョーカーに関しては別だ。自分の行為が他人から見れば悪い事だろうと全て主観で判断しているので、「悪い事をしている」という認識すらない。
 その点、自分で決めているので、ところ構わず人殺しをしているわけでもないのだ、あくまでも、自分が悪と考えるものには罰を、自分が善と考えるものには何もしない、被害を加える事はない、 
 ただ、その善悪はアーサーの主観で決められている、、、と

 こういったアーサーの発言一つ一つを覚えられないし、一回観ただけではわからないところもある。かと言って映画館で何回も観るにはお金がかかるし、メモをとるわけにもいかないので、レンタルされるのを待つしかないようですね笑。

 ただ、一つ確かに言えることはホアキン・フェニックスの演技がヤバかったと言う事ですね、何がヤバかったって、まず言い方は悪いが、本当に病がある人に見えてしまった、喋り方や歩き方、一つの動作にしても、普通の人とは何かが違っていましたからね。
 それに、あのスイッチが入れ換わった時の変貌ぶりが恐ろしかった、あれはホアキン・フェニックスではなかった、あれはアーサー、いやジョーカーでした。

 今回は普通のスリラーとは違い、なぜ彼がこのようになったのかを描いているので、普通なら、物語に凶悪な殺人鬼などがいて、名探偵が事件を解決したり、刑事たちが、徐々に犯人を追い詰めていく感じや、ダークナイトのバットマンとの対決だったり、最近観た「羊たちの沈黙」のようなストーリーになりますが、今回はそれ以前のストーリーですから、似たような作品を観たことがないので、比較しずらいところもありましたので、ストーリー内容的に似たような作品を知っている方は、是非教えてもらいたいです笑。
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