延々と続く、ごわついた画面。神経を逆撫でるように、どこまでも陰鬱な音楽。ジョーカーという悪のアイコンが誕生するまでの経緯を描くこの作品。ホアキン・フェニックス演じるアーサー(後のジョーカー)が、度重なる社会の理不尽な仕打ちに、疲弊し、ささやかな希望さえ持てなくなる姿を、見応え充分な狂気的演技を持って伝えてくれました。まさに怪演。一人芝居です。
ノーラン版のゴッサムシティより、更に街が現実的な都会。アーサーに関わる人物達は、数人を除いて全て善人とはかけ離れた行動をとる。余裕無き大衆。
正義の味方、善なる行動の実行者は爪の先ほども出てきません。
悪が産まれて、後に正義は現れるのでしょうか。自分としては、鉄道車内や、アパートの部屋、収録中のテレビ局でのジョーカーの犯行には、行き過ぎだが、向けられた悪意に対する正義を感じました。
否定され、蔑まされたアーサーが、事故の様な偶発的殺人から、確信的殺人に変わるシーンは、ささやかな善意と正義が、敵意と悪行に変わる速さを伝えてくれます。
タクシードライバーのトラヴィスが、別の闇に引き摺られ、その奈落に堕ちたら、ジョーカーの様になったかな。 笑い声が耳に残ることになります。