2 2021 1219
音楽が折角の静の孤独を殺してると思うんだ。もっと音なくて良い。アーサーの生活の中の孤独を味わいたい。銃を撃った後のあの感じがもっとほしいかった。あの緊張感と静寂さ。ダークナイトに引っ張られてるけども。やっぱりあれがほしい。
1 2019 1119
2回目見てきた
この映画を見て響く人、響かない人がいるからこそ、この映画の作られた意義と効果が完全に証明されている。
何がヤバイってゴッサムシティが悲劇すぎる設定であり、相変わらずアメコミヒーロー映画は悲劇設定が本当に悲しい。けどその反面ヒーローやヴィランにに魅せられる。
ヒーローとヴィランの違いは、どちらを正義とするかだけ。大概賛同者が多いのがヒーローになる。
悲劇から生まれたジョーカーというアイドル的存在により、ゴッサムシティの貧困者、社会的排除者の暴動心に拍車がかかる。
本当のアーサーの素の笑い声がどれだけ可愛いことか。病気だった笑い声もいつのまにか、自分の物にして、悲しいことも笑い飛ばしてるように見えたが、ある意味では、精神病を克服してるよな。薬も飲まなくなったのは、母親を殺して、同僚を殺して自分の主観を取り戻し正当化することが出来ている。その完成形として、赤のジャケットとピエロの化粧とあの至高のダンスシーンとrock and roll part2の組み合わせ。
ロバート・デニーロに、人を殺す言い訳を並べてるだけだと言われたがそれはまさにそう。なら、アーサーの悲しみはどこへぶつければ良い?結局善悪主観なんだよ。普通のヒーロー映画ならあそこでデニーロサイドがジョーカーを倒さなければならない。だが、相手はジョーカーだ。ゴッサムシティを覚醒させたあの、最低最悪のジョーカーだ。だから続く。
最後のジョークは、自分を認めない、無視する、邪魔するもの、笑い者にする奴は殺すってジョークで女の人を殺したんだろうな。
そんな悲劇の暴動の中生まれるのが、バットマンかよ。ふざけんなよ。悲し過ぎるだろ。結局、この悲劇を受け継ぐ後の世代が踠き、苦しみ、戦い続けるという、ずっと可哀想な物語だよな。
That’s lifeという曲を映画化したかのような最後の締めは、映画として娯楽として見させられてやられたー。
まだ思うこと沢山あったけど、結局はジョーカーというシンボルのエンタメ性にやられて、善悪とかどうでも良くなってきた。