ペジオ

ジョーカーのペジオのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.2
他人をイジるならセンス良くな

世の中には二種類の人間がいる
「イジる側の人間」と「イジられる側の人間」
イジる側の責任として「イジられる側も美味しくなる」様にイジらなければならない
それには思いやりや優しさ以上に「センス」が重要なのである
他人を馬鹿にして自分の優位を保ちたいだけのセンスの無いイジりはするのもされるのも眺めてるのも辟易する
相手に「新しい価値を付加してあげる」様なセンスあるイジりは…社会がどれだけ眉を顰めようと俺が許す、どんどんやれ
二種類の人間の間には一見上下関係があるように見えるが、結局のところその契約に則った役割でしかないんだ(もっともここに気づいている人間は思いの外少ない。それはセンスの有無を判断できないという意味でイジられる側にも問題がある様に思うのだが…。)

病気持ちで孤独な男アーサー・フレックは完全にイジられる側の人間である
センスの無いイジりに晒され続けた彼が自分の「価値」を見失ってしまうのは想像に難くない(仕事仲間内での小人症イジりや地下鉄での「音痴」な歌でのイジりなんてセンスの欠片も無いではないか。)
「俺だったらこうイジるね」
彼がイジる側に回る事によって、彼の「センス」が賞賛をもって迎え入れられた社会は「正気」か?はたまた「正気」か?……「正気」でしかない…(映画内世界だけのことを言ってるんじゃないぞ。)

本人の意思に反して出てしまう彼の笑いが、やがて本人の意思と同調したものになる描写は素晴らしい(元々ずっと同調していた可能性はある。それを認めたくない規範がアーサーの中にあったが、物語が進むにつれその規範の馬鹿馬鹿しさに気づいていったというか…。)

狂気と悪に堕ちる孤独な男の映画として実にシンプルな作りで、良く言えば「クラシック」、悪く言えば「焼き直し」な印象(弦楽器の重低音や古いロックやポップスの使用が映画の雰囲気や価値を上げていると思う。)
それでもこの映画が特別なのは「あのジョーカーの新しい解釈」という点である事は間違いない
「俺だったらジョーカーをこうイジるね」
…というのがこの映画の製作動機であったのなら、もはや「ジョーカー」とは個人の枠を超えて「思想」の域に到達したという事だろうか
さすればこの映画は「ジョーカーという思想を生み出した始祖」の物語であったともとれる
原作や過去の映画で登場してきたジョーカー達は、この思想を受け継ぎ、そこから枝分かれした「模倣犯」に過ぎないのかもしれない(演じる役者が違うことにも必然性が生まれる。)
過去の思想を次世代の思想家が更新していく過程が過去のジョーカー登場映画の系譜だったとすれば、まごう事無き「ジョーカーのオリジン」である本作が「共感」に重きを置いた映画なのは当然なのかもしれない

各局が大事件を報じる中、唯一イーストウッドを流してた局はゴッサムのテレビ東京か?