もりひさ

ジョーカーのもりひさのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
5.0
狂っているのは僕か?それとも世間か?

物語の冒頭で放たれるこのセリフ。
予断を許さないコロナ禍において、それぞれの立場でそれぞれの日常を生きる人たちはどう答えるだろうか。
少なくとも今の俺は世間だと答える。
補償のない自粛を要請し、一定の成果をあげられずにさらに自粛を延長する、利権にまみれた政府。
街では、感染者の出た家に石を投げたり、営業中の店の通報が相次いだりと、自粛警察とのたまう心なき連中による誹謗中傷の数々。
誰がどうみても狂っている。
怒りと腹立たしさとやるせなさが伝染して、ふとした瞬間に泣きそうになってしまう今日この頃のおうち時間。

本作は劇場で観たのを含めて2回目の鑑賞。
例え同じセリフであっても、当時と今ではフィルターが違うから、感想も変わってくるのだろうか。

アーサーがゴミをこれでもかって蹴り続けるシーン。(わかりたくない人生を送りたかったが)痛いほど良くわかる。
また一からやらざるを得なくなった転職活動、自分の保身ばかり口にする上層部に心底うんざり、転職先が決まるより前に退職届を出してしまった、相変わらず人間扱いされない毎日、うまく転職できるのか、もしできなかったら最悪を想定しなきゃいけないのかも、不安と不満。
付き合っている人からは向こうの事情で距離をとられている、俺にはどうすることもできない問題、だが単純にそうとは思えない、俺が至らなかったのだろうか、いまは相手のことを慮る余裕がない、形は違えどやっていることは同じじゃないか、あなたに使いたいお金も時間もないのだと、尽きない悩み。
飲み込まれそうになってしまう、誰かに話して少しでも楽になりたい、そんなときに限って寄ってくるのは自分にしか興味がない人たち、自分の話ばかりしている、俺という他人に全く興味がない。
そんな風に悪いことが重なって、明日や未来のことを全く信じられなくなったときが去年の暮れぐらいにあったのだが、帰り道に虚ろな顔でそこら中にある看板を蹴飛ばしながら歩いていた。もちろん妄想の中で。自分の意思に反して、脳内に浮かんできたのだ。止めることができなかった。

そんなどうしようもないときに劇場で本作を観た。当時の自分の心境とあまりにも重なってしまい、どうしようもなく心が震えた。映画って良いなと改めて思うきっかけになった。
中島らもがその日の天使と題したエッセイの中で、「一人の人間の一日には、必ず一人、その日の天使がついている。暗い気持ちになって、冗談にでも、今自殺したら、などと考えているときに、とんでもない知人から電話がかかってくる。あるいは、ふと開いた画集か何かの一葉の絵によって救われることが。それはその日の天使なのである」と述べているが、ジョーカーは紛れもなく当時の俺にとってその日の天使だった。

その後、運良く今勤めている会社に拾ってもらった一方で(運が良いとしか言いようがない。採用理由がなんとく良いと思ったと言われたからだ)、彼女とは別れてしまったのだが、数少ない友人の1人から転職が決まったその日に居酒屋で祝ってもらった。
最高と最悪は同時に起こるとよく言われるが、正にそれだった。自分なりに腐らずに踏ん張ってきてほんとによかったと思えた瞬間だった。

もしうまくいってなかったらと想像すると、ゾッとしてしまう。

アーサーは、俺とは比べ物にならないくらいの悪いことが重なった。そのタイミングも悪かった。悪すぎた。やることなすことすべてがうまくいかなかった。
人が自分の意思とは無関係に狂気に落ちてしまうのは、いつだって思いがけないふとした瞬間だ。それはまるで、表面張力いっぱいのグラスの水に最後の一滴が落ちるかのように。
狂気に落ちた瞬間のアーサーは、とんでもないことをやってしまったと狼狽することなく、ただ静かに身体に身を任せて踊る。
人を殺めたものは、スーサイドの「フランキーティアドロップ」でうたわれるフランキーのように、どうしてこんなことになってしまったんだと取り乱し、頭を抱える。そして自ら命を絶つ。
そうはならなかったその姿に、なるべくしてなったのだと、新たな生命が誕生する瞬間のような感動を覚えてしまった。あんな残虐なシーンの後なのに、美しさすら感じた。

人がほんとうに怒るのは傷ついたときだ。そういうとき、人は何もかも破壊せずにはいられない。大事な人を破壊し、そうして自分自身をも破壊するー東畑開人『居るのはつらいよ』より引用

その破壊をとめるのは、その日の天使であったり、表面張力でなお踏ん張れる自分であったり、話をきいて応援しときには叱ってくれる他者だったりするが、アーサーにはそういったものが皆無だった。
もともと精神疾患がある上に、心の拠り所だったコメディアンからはネタにされ、知りたくもなかった母親の本当の姿を知るといった思いもよらないダブルパンチが、狂気に拍車をかけてしまった。静かだった踊りは、いつの間にやらノリノリに。ピエロだが最後にはその仮面を捨て去る。それら一連のシーンが、やはり美しい。

暴走は誰にも止めることはできず、それは同じ穴のムジナたちへと伝染していく。
悪(観る人によっては正義かな?)のカリスマ、ジョーカーとして、最終的に皆から祭り上げられるアーサー。

最高と最悪はやはり同時に起こる。

2回目の鑑賞だから、これを書きながら映画を観ているのだが、最後の最後で、美しいだろ?というセリフがジョーカーの口から飛び出してくるとは夢にも思わなかった。上記で美しいとばかり形容してきたから、そらそうですよ、はい、とても美しかったです。

いま世の中はディストピアへとひた走る最悪な状況。最悪に最悪が重なり、いよいよ自分の力ではどうにもならなくなって、自分を見失うときがくるかもしれない(傷ついたその不幸が自らを変える力になれば良いのだが)。
妄想が勝手に入り込んできて、一体どこまでが現実なのかわからなくなってしまった。失うものもなく、自分を傷つけるものさえいない。
そんなときはまたあの日のように、悪魔のジョーカーがその日の天使になって、俺を救ってくれるのだろうか。それとも、天使とすら思えないぐらい参っているのだろうか。

未来は天国か地獄か。
それは誰にもわからない。

余談。

みんなだってこの社会だってそうだ
善悪を主観で決めてる

外の世界を見たことあるか?
スタジオの外に出たことは?
誰もが大声で罵りあってる
礼儀も何もない!
誰も他人のことを気にかけない
ウェイン(政治家)が僕の気持ちを考えるか?
他人の気持ちなど考えない
こう思うだけさ
黙っていい子にしてろ

やはり当時とフィルターが変わってたからか、1回目観たときにはあまり引っかからなかったジョーカーのセリフにグッときた。
音痴だったから殺したと、ジョークでしか返せなかったアーサーにも引っかかった。建設的な会話ができるほどの思考回路が彼にはもはやない。
どいつもこいつも自分のことばかりだと言う割に、最終的にはアーサーも自分のことばかり。そうさせたのは、所詮自分さえよければ、から抜け出せない無関心な我々だ。放って置かれるだけでも人は傷つく。
もりひさ

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