冒頭のアーサー笑いのシーンが強烈で、普通の笑いではないことがわかる。突然笑い出してしまうMentally illnessを抱えている。その笑いはなにか?事実を知らず、弱者を受け入れることのない社会への無力感、その哀しみを可笑しみとして受け止めることでしか、生きていくことができなかったのだろう。障害を抱えながらも、母を助け、道化師となって人に笑顔を与え、コメディアンになることを夢みて、心の支えにしていたが、少しずつその現実が崩れていく。親切心を装って、銃を渡した同僚。福祉施設で銃を持ち込んでいることがわかり、職を失うアーサー。そんな時にも笑いを止めることはできず、集団に襲われ、銃を手にし、3人を殺害する。逃げ込んだ公衆トイレで、踊るアーサーは、ジョーカーとして覚醒していく。
I didn’t know I was existed but I do.
But people are starting to notice that.
市長選に立候補している起業家のThomas Weyneが実の父であると母から告げられるも、
母はIllusion のある変質者であったのだと執事から笑われる。そんな中母が脳卒中で倒れ、病室で憧れのテレビショーに自分のスタンドアップコメディが取り上げられるも、馬鹿にされ、笑いを誘っただけだった。
clownとして殺人を犯したが、次第に貧困層の支持を得て、アイコンとなっていく。
そんな中、父であると信じるThomas にあうも、母はcrazyであったといわれ、アーサーは養子であったと認められない。
一方で、憧れのマーリーのショーに呼ばれるアーサー。
カウンセラーは政府の補助が打ち切られ、福祉サービスが終わることを告げるだけ。
悩むと思ったが、すっきりしたのだと、胸の内を明かすアーサー。母の精神病棟からカルテを奪い、母が妄想、自己愛性障害を抱え、子供を虐待していたという現実を知り、笑いが止まらなくなるアーサー。
You know what’s funny you make me lough
I always thought life was a tragedy but life was a comedy
脳卒中で入院中の母を殺し、部屋で踊るアーサー。ショーに出る予行練習を1人始める。knock knockジョークで、銃で自分を殺すシーンを演じる。その中、同僚が見舞いにくるも、口裏合わせをしようと持ちかけるのは、銃を渡した同僚。medication をやめ、気分がよいのだとアーサーは答え、その同僚を殺害する。小人症の同僚だけは逃す、you are the only one who’s ever nice to me。
階段を苦痛な様子で登っていた過去とは違い、ジョーカーのメークをし、足取り軽く、踊りながら階段を降るアーサー。
警察に追いかけられるも、ジョーカーと同じ格好をしている集団に警察はやられ、ジョーカーは念願の番組に出演する。
ここで始めて、ジョーカー、否、アーサーの本当の心がぶちまけられる。My life’s never be a comedy. Comedy is objective.
マリーを生放送中に殺し、警察の車で送られるが、映画では軽快な音楽が流れ、外はジョーカーの引き起こした暴動で燃えている。
燃えてるのはおまえのせいさという警察官に、
I know isn’t it beautiful ?と笑うジョーカー。
護送車がデモの事故にあう。
一方で、ウェインと妻がデモの1人に殺される。
事故にあった車からジョーカーは引き上げられ、デモ隊に祭り上げられるように車の上で躍るアーサー。口から出た血を、絵具のように指につけ、口角にひく。
白い壁と床に囲まれた刑務所で笑うジョーカーに、What’s so funny と尋ねられる。ウェインの子供だけ残されているシーンが映る。You wouldn’t get it と答える
That’s lifeの歌詞の音楽が流れる。
自分の感情をかくし、演じることで、笑うことで、なんとか不条理を受け入れようとしていたが、そんなクラウンとしての自己さえも破壊されてしまう。人間は簡単に壊れてしまうのだろう。
主観で善悪が決まっていて、人生は喜劇なのだと
振り切ってしまったアーサーは人間の心を失い、最後本当のクラウンになってしまったんだろう。