NAO141

ジョーカーのNAO141のレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.6
劇場公開日当日に鑑賞。
鳥肌が立ってしまった…。
「面白い!」とは言いにくい作品ではあるものの、多くの人に観てほしい。
しかしオススメしにくい、そんな複雑な作品(~_~;)

個人的に
「そうか彼(彼女)にはこんな過去があって今が形成されているのか!」
「そうかこの部分とこの部分が後にあの部分に繋がるのか!」
といった《エピソード0》的な作品(前日譚的な作品)が大好きである。
圧倒的人気のヴィランである「ジョーカー」の誕生秘話、ジョーカーがいかにしてジョーカーになったか、これもまた一つの解釈としてありだと思う。
しかしとにかく切なすぎる…。

我々は誰でもジョーカーになってしまう可能性がある。
誰か一人でもアーサーの声に耳を傾けることが出来れば…、ちょっとした掛け違いが生んでしまった悲劇。
物語終盤、ジョーカーがマレーの番組で怒りを爆発させたシーンは同情もしてしまいそうで、切なくもなり、複雑だった。
暴徒化した民衆を前についに誕生してしまった「ジョーカー」、時を同じくして、その暴徒化した民衆に父を殺害された「ブルース(後のバットマン)」。
後に宿敵となる「バットマン」と「ジョーカー」、このゴッサムシティの環境と悲劇性が2人を誕生させたのだと考えると切なくてしかたがない…。

ステージで多くの人からスタンディングオベーションを受け最高の笑顔になれたかもしれないアーサーが、暴徒化した民衆を前に自らの血で笑顔をつくる。
切なくて涙が出そうになった…。
「アーサー、あなたはこのような形で多くの人に支持をされたかったのか?違うだろ?」、そう言いたくなるシーンだ。こういった形でしか自分を表現出来なくなった一人の男の悲しさ・切なさ・闇。
荒んだゴッサムシティという街に誕生してしまった悪のシンボル「ジョーカー」。いろいろと考えさせられる作品であった。

あまりにも有名になったダンスのシーン。物語序盤、階段を上るアーサーの背中は毎日を懸命に生きながらも、どこか暗い。しかし、物語終盤、階段を下りるジョーカーの姿はどこか吹っ切れたような開放感がある。この対比が深い。
闇へと堕ちるジョーカー、彼自身は吹っ切れて開放感があったかもしれないが見ている側がそこに切なさを感じてしまうのは何故だろう…。

物語ラストの展開も「?」があり、考えてみれば作品全体に「え?どういうこと?」な部分もあるが、作品そのものやジョーカーに対して《簡単に結論は出せない。解釈はどのようにも出来る。》というメッセージが込められているようにも感じ、ただただ深い・切ない作品だった。

世界であまりに有名なヴィラン「ジョーカー」、しかし彼自身には特殊能力が一切ない。あるのはただひたすら「狂気」のみ。しかし何を持って「狂気」とするのか、、そんなことを我々に問い掛けてくる「ジョーカー」という存在がただただ恐ろしい。
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