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ジョーカーのAKALIVEのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
5.0
2019年の最高の映画なのは間違いないけれど、こんなにも語り甲斐のある映画もなかなか無い!!だから🚨思い出話しまーす!!


ご多分に漏れず筆者の中にもJOKERがいた頃があった。17〜18歳にかけてです。

自分史上最も"死んだ"顔の写真があって、どこかで同級生が保管しているかと思う。

別にその時の心境を抉り出されたとかを言いたいのではなくて、その時期って不思議だなあ、と。

シニシズム、拒絶、アパシー、自分自身への裏切り。かなりキツかったな。それらが合わさってあらゆるものへの「拒否」となって表面に現れ出た。

まず聴く音楽が変わった。

筆頭は
Pavement
My Bloody Valentine
「取り扱い」を間違えて「気分」として聴いていた音楽としては
The Stone Roses
The Libertines
Neil Young

政治の「せ」の字も分かっていなかったし、被害者意識ばかり募らせていたけれど、実際には完全に被害者だった。この国のPop musicの受容の環境が、批評として1本の筋が通ったものにアクセスするのが難しく、なかには「ロックは自分とのたたかい」という論調もあった。今だってそうではないか❓

それが覆るのが、音楽雑誌『snoozer』のバック・ナンバーを片っ端から集めて読み始めてからだった。音楽は政治だった。そして音楽はしっかりと日常とコネクトしていた。だからある音楽はその時代から逃れられないし、しかしそれは不幸ではなく、幸運だった。何故ならば、全て"時代のせい"にしてしまえるから。"俺のせいじゃない"。というか、その雑誌はこう言っていた。「んなもん気にすんな!」ーーそれから、僕は19歳になった。とりあえず自分が小学生、中学生だった頃にSuper Furry Animalsと『snoozer』が何をオーディエンスに伝えようとしていたのかを、聴いて、読んで、追体験することで、「自分」を取り戻した。

そこからは「学び」の季節だった。

では巻き戻そう、これは17〜18歳の自分自身を知る文章になる予感がする。

はじまりは、Creamの「White Room」「SWLABR」「Sunshine Of Your Love」「Those Were The Days」「Deserted Cities Of The Heart」だった。爆音でよく聴いていた。この1960年代のサイケデリック・バンドは、爆音のブルース・ロックで超人気者だったバンドだ。ギタリストはEric Clapton(!!)。よく考えたら凄いな。Eric Claptonが爆音って。でもバンドのライヴがほんと凄くて、The Beatlesがオーディエンスの悲鳴にも似た叫びで自分たちの音が聴こえなくてライヴをしなくなった1960年代に、彼らは音を外さないんだよね。これは凄い(爆笑🤣)。

それだけのバンドだと思ってください。

そんなバンドに夢中になったので、今思えば、そりゃそうだよね、という。
筆者には、ここで「拒否」の芽生えがもうすでにあったのだ。
Creamはイギリスの労働者階級の3人組のバンド。渡り鳥=Eric Claptonに対して"CLAPTON IS GOD"ーー街中にはそんな落書きが既に現れていた。そんな新時代の到来を告げる爆音の音楽。
この文章は、Creamから一気にMy Bloody Valentineへと跳躍していく。🚨パラノイアご注意。

シューゲイザーの筆頭格、轟音のバンドMy Bloody Valentineにも素晴らしいハーモニーがあった。あれ?Creamと同じじゃん。そうか、俺がハマったこの2つのバンドは「拒否」についてだったのか。

「Only Shallow」

「When You Sleep」

「I Only Said」

「Sometimes」

「Soon」

改めて聴き直しても、この5曲は鳥肌モノです、轟音&ハーモニー。イギリスの労働者階級の若者たち、行くとこまで行く感じ。

次にPavementについて語らせてほしい。
YouTubeの「Pavement - Trigger Cut - 1992 Belgium」っていう映像と。「Pavement - Range Life (Official Video)」っていうのと。「Pavement - Carrot Rope (Official Video)」っていうの。もうこの3つの映像はほんとに最高なんだよ。
文章の冒頭に書いた"死んだ顔"については、当時、自分にとって世界一のバンドだったPavementの「Range Life」がThe Smashing Pumpkinsに対する揶揄を込めていたことなどが自分に影響を与えたのだろう。バンドがその後も示し続けた「拒否」の態度は、世代の違う極東の島国のティーンエイジャーに将来を危うくさせるほどの、この停滞した社会に対する「拒否」を起こさせた。あの写真、また観たいな。

個人的なベスト・トラックは

「Trigger Cut」

「Here」

「Range Life」

「Fillmore Jive」

「Carrot Rope」

未だに何を歌っているのかは分からないですけれど、捻くれてるな〜、というのは伝わってくる。

さて、「拒否」、「拒否」、「拒否」、だと話してきましたが、つづきは?

次は、2000年代終わりの、Girlsというバンド。なんとアメリカのバンドでMy Bloody Valentineに影響されたバンドが現れたのだ。Pavementが1990年代に登場した時点で既にアメリカのバンドにも「拒否」の態度があることは明らかだったし、それは1980年代のR.E.M.からの文脈でもあったが、GirlsのフロントマンChristopher Owensは、はっきりとMy Bloody Valentineに影響された、と公言している。

(自分はCreamからだと思っているが、)My Bloody Valentine以降の、イギリスの労働者階級の若者たちの、行き場のないライフを反映させた徹底した「拒否」のアティチュードに、遂にアメリカの音楽家がリスペクトを表明した瞬間だった。俺たちも同じになっちゃった、行き場がない、格差社会は労働者階級を生んだ、徹底した「拒否」の態度しかない、福祉を手厚くしてくれないと、生きるのがキツいよ、と。

アメリカも相当1% vs 99%になってきたんだなあ、と感じる話です。その頃、まだ浮かれ気分だったこの国に生きていた自分はその深刻さを「感じない」ようにしていたのだが、Girlsで、現実が追いついてきた、と感じた。実は資本主義のネガティヴな側面を痛感していた自分は、17〜18歳の頃(筆者は1990年生まれなので、2007〜2008年)、述べたように、「拒否」の音楽に夢中になった。でもそれにキツさも感じていた。そして19歳になった。『snoozer』に唯物的に希望と絶望を受け取りながら、ある音楽が生まれたバックグラウンド、文脈、産業構造、流通などの「システム」について、等々を、それはそれは観念的に剥いでしまう乱暴さを、自己を矯正し、音楽に対する接し方を改めていた「理想的な」頃だった。そこへやって来たGirls。これが凄かった。

まずは『snoozer』2009年12月号で取り上げているのを見て、音源を聴いたら、あ、これ今年度の1位のアルバムだわ、と訳分からず確信。次号の『snoozer』2010年2月号の【THE YEAR IN MUSIC 2009 年間ベスト・アルバム50】の栄えある1位に輝いたのはなんとそのGirlsの『Album』というアルバムだった。遂に、現実が自分に追いついた瞬間。マジか…。

「拒否」の音楽が、やって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!、かよ…。

ここでCreamの「White Room」をどうぞ…。

https://open.spotify.com/track/3Xls4cNOwy01dtrNXb1inG?si=7tUcB1BbSmauNbbfauocQA


というわけで、格差、無慈悲な世界、孤独な魂、を扱った本作が全世界で大ヒットした事実は、「拒否」のアティチュードを世界が受け入れてんじゃん、ということだったし、僕はただ、知ってるよ、と叫んでしまった。

これは新時代の聖書だ。
これはジョークじゃないんだ。









なんて話はどうだい?だもんな。
ニクいな。
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