ナガエ

M/村西とおる狂熱の日々 完全版のナガエのレビュー・感想・評価

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僕は村西とおるという人物を、この映画を通してしか知らないが、この映画を見た印象としては、「全体的には、ちゃんと理屈の通る、まともな仕事人だな」と感じた。正直それは、意外な印象だった。

この映画は、その8割ほどを、1996年の映像で構成されている。1980年代に、アダルトビデオの黄金期を築きながら、バブル崩壊と共に50億にも上る借金を抱えることになった彼が、一発逆転の再起を賭けて撮影に挑んだVシネマ。その撮影現場に、ドキュメンタリーのカメラが入っていたのだ。この映画の8割は、その時の映像で出来ている。

その映像の、かなり冒頭の方に、非常に印象的な場面があった。

【確かに金を儲けたいのは山々なんだけどよぉ、騙していいのかっていうね】

前後の状況が詳しく描かれるわけではないが、想像するにこうだ。このVシネマは、4時間16分にも及ぶ長尺であり、かつ、このVシネマの撮影と同時に、35本のヘアヌードビデオも撮る、というものだった。もちろん、女優も数十人単位でいる。集めてくるスタッフも大変だ。だから、こういうことがあったんじゃないだろうか。SEXするとかいう話をせずに、割の良いバイトがあるから来ない、というような呼び方をしている、と。モデル担当は別にいるので、どういう女優を集めるかについて村西とおるは携わっていない。しかし、撮影が始まってから、色々問題が起き、恐らくその中で、こんな仕事だって聞いてない、みたいな不満も出たのだろう。そういう事情を踏まえた上での、上の村西とおるの発言だと思うのだ。

村西とおるの何を知っていたわけでもないのだけど、非常に意外なセリフだった。正直、もっと悪い人間だと思っていた。もちろん、ドキュメンタリーのカメラがあるからソフトに見せている、という可能性はある。しかしこの撮影、撮影前夜の時点で脚本は1/5も完成しておらず、しかも撮影中トラブルが続出。村西とおるを始め、スタッフは何日もまともに寝られていない、という状況だった。そういう中で、ドキュメンタリーのカメラがあるから普段よりソフトに、なんていう頭が働くだろうか?なんとなくだけど、普段通りの振る舞いなんだろうな、と感じる。とすれば、村西とおるは、非常にまっとうな感覚を持っていると言える。

そもそも冒頭で、村西とおるに見いだされた伝説的なAV女優(伝説的な、と書いたけど、僕は知らない)である黒木香が、何かのインタビューでこんな風に語っている。

【これほどの才能を前にしたら、絶対服従するしかない。自分にそう言い聞かせているんじゃなくて、自然とそう思う。偉大なる才能の前には、屈服するしかないと思います】

彼女は、横浜国立大学在学中にAVデビューしたそうだ。それだけで頭の良し悪しを判断するのもどうかと思うが、しかし、決して頭が悪いということはないだろう。そんな彼女が、村西とおるをそう評するのだ。多少の欠点はあったかもしれないが、目を瞑っていられれるほどの圧倒的な才能があった、ということだろう。

その才能について、2017年の村西とおるは、こんな風に語っていた。

【その女優が、一生涯誰にも見せなかったかもしれない性の部分を見させることにかけて、私の右に出る者はいないと思う】

1996年のメイキング映像には、SEXをしている撮影シーンはほとんど出てこなかったから、上記の発言を具体的には検証できないが、しかし、なるほどなと感じさせる場面はあった。そのVシネマの主演を務めるKに対して、こんなことを言っていた。

【私は脱げますなんて、そんなことだけで仕事をしてちゃダメなんだよ。僕はあなたを、女優だと思ってるんだ。脱いでSEXする人だとか思ってない。あなたをどう美しく撮るか、そういうことを考えてるんだ。AVの女優は素晴らしいよ。だって、脱いでいいんだもん。ヤッていいんだもん。だけどそれだけじゃダメ。脱がなくても良い演技が出来るってことが、脱げることの価値を生むんだよ。】

実際に話してる内容を正確には覚えてないから、あくまでも雰囲気の再現だけど、要するにこんな風に、女優たちの気持ちを盛り上げるようなことをきちんと言葉にして伝えるのだ。実際に裸になってSEXをするんだから、その部分はしょうがない。でも、それをどう解釈するかで、これからのあなたの女優としての生き方が変わるんだよ、というような言い方は、確かに詭弁っちゃ詭弁だ。けど、結局SEXはするんだから、その解釈次第で取り組み方に変化が出るっていうなら、口八丁でも何でもやった方がいい。女優の方だって、詭弁だと思いつつも、「こんな風に自分のために時間を割いてくれていること」そのものに情熱を感じるかもしれない。まあ、女性側の心理はあくまでも想像だけど、ただ、黒木香の証言もあるし、他のトップAV女優たちも次々育ててきた実績のことを考えると、言葉の力で彼女たちを”気持ちよく”脱がせてきたのだろうな、という片鱗を伺える場面だなと感じた。

しかし、女優の前とスタッフの前とで、村西とおるの態度が激変する様は、非常に面白い。女優たちには「可愛いね」「素敵だね」なんて声を掛ける一方で、モデル担当のスタッフには、「なんだあんなブサイクばっかり集めて。どう責任を取るんだ」と詰め寄る。しかし、そういう姿を、女優たちには見せない。スタッフに対する叱責は多々あるものの、トラブル続きの中、与えられた条件下でいかに成果を出すか、という部分に、相当注力していることが伝わるので、仕事に対する本気度みたいなものが垣間見えた。

しかしまあ、1996年の撮影現場では、トラブルがまあ続出する。体調を崩す女優とか、不満を言う女優が出てくるのは全然マシで、かなり大事に発展するようなトラブルもある。中でも、主演のKに関するドタバタは、ホントにドキュメンタリーなんかなぁ、と感じるほどだ。一つ、あまり具体的過ぎずに例を出すと、彼女がある行動を取り、そのことに対して、「自己管理がなってない」と村西とおるは叱責するのだけど、彼女は自分の非を認めない、ということがあった。僕はこの話、そこで終わるんだと思ってたんだけど、実は続きがあった。マジ!?というような展開で、ホントに物語みたいだった。他にも、展開だけ取り出したら、すげぇ物語っぽいようなものはあるんだけど、でも、映像のリアル感が凄く強いから、全然フィクションには思えない。

世間的には、村西とおるを主人公にした「全裸監督」という映像が話題になってるだろうけど、僕は観ていない。観ていないが、なんとなく、村西とおるのリアル感には勝てないだろうな、と思う。この映画の冒頭で、宮台真司・西原理恵子・玉袋筋太郎・片岡鶴太郎などの面々が、村西とおるについて語るシーンがあるのだけど、それらの評価をひっくるめると、やはり「怪物」という感じになる。アダルトビデオという業界にいる人物だから、どうしても色眼鏡を外して見ることが難しい人物ではあるけども、「こんな人間は二度と出てこないだろう」と思わせるほどのインパクトを兼ね備えた人間だということは間違いないだろうと思う。

映画として他人に勧められるかと言われると、なかなか難しいところではあるけど、僕自身は、観てよかったなと思う。
ナガエ

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