福田雄一のダメな部分が凝縮された正に
《勘違いのオンパレード》
の長時間垂れ流し遊戯会。
個人的にミュージカルが苦手とはいえ もうソレ以前の問題である。
ビジュアルは原作に忠実と言う話だが原作を知らないコチラには正直言ってどうでもいい。
本来ならコレを「どうでもいい」と言いたくなんてないが、それでも言いたくなる程に他の部分がヒド過ぎる。
ズバリ、《噴飯物》だ。
話自体も盛り上がりや抑揚がなく、単にエピソードの消化に終始。
とりあえず常連役者のウケ狙い演技を散りばめて、某有名ミュージカルの上澄みをすくった様な歌とダンスを置きパッチワークしただけの《映像》。
演技もミュージカルパートもクオリティの高い部分(監督本人の作った物ではない)すらかき消してしまう様な構造。
映画をコンテンツとして利用することを目的とした作品がたまにあるが、コレは言うなら原作やコメディ、ミュージカル等の作品やジャンル、表現を
《コンテンツとして利用しただけの映画》
つまり、福田雄一がある程度ファンが居るという現状だからこそ成り立っている、言い換えれば
『作り手が胡座(あぐら)をかいているブツ』
でしかない。
とにかく福田雄一が苦手で全ての福田作品がダメと言ってるワケではない。
だがこういうブツを許す気にはなれない。
もはや役者が不憫(ふびん)だ。
原作や役者をただ好きな様に消費して作った物を使って鑑賞した人の時間を消費させる。
「 ただの地獄だろ こんな物。」
関わる者や映画に対するリスペクトがないからこんなブツが出来上がる。
唯我独尊でも〈映画として凄い物〉を作る人はいるが、福田作品にそういう凄い映画はない。
超絶大傑作もあれば狂気の駄作があるタイプでもない(超絶大傑作がない)。
福田ワールドの中で 比較的観れるか観るに耐えないか。コレしかない。
ゆえにコレで良しとしたプロデューサーも同罪と言いたい。
いくら一定数のファンが居ると言っても野放しにすればこういうブツが出来上がってしまう。
元々長時間の尺を引っ張れる人間じゃないのだ。
1時間ドラマで1週間に1度お約束をやるのが丁度良い。
(例えにして申し訳ないが)水戸黄門スタイルが適切なフィールドだ。
原作がある映画の場合、福田雄一には足枷(あしかせ)や首輪が必要だ。
たまにその原作内容そのものが手綱として機能する場合があるが、今回はそうもなっていない。
『 ひたすら退屈、のち怒り。』
もう一度言うが、役者が不憫だ。
一応1.5のスコアを付けたが、コレは役者やミュージカル演出に携わった人に対して3.5。ソレ以外は0、福田は0どころかマイナス2、トータル1.5だ。
【女子ーズ】もヒドいモンだったが、まだアレは時期的にもサイズ的にも"福田マニア向け"で済んだという見方は出来た。
コレは最早(もはや)そうもいかない。
どうしてもホメるポイントを出さなければならないとするならば、
序盤、高畑充希の〈座った眼でサムズアップ〉と歌のウマさだけは『高畑充希をホメたい。』
あとはミュージカルパート曲のクオリティ。
後はもうダメだ。
周りの努力全てを福田が雑に消費した。
"駄作"以外の言葉が浮かばない。