マンボー

リンドグレーンのマンボーのネタバレレビュー・内容・結末

リンドグレーン(2018年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

長靴下のピッピの作者として有名な、女流児童作家アストリッド・リンドグレーンを描いた映画ということで足を運んだが、彼女が児童文学を執筆するシーンが全くなく少し驚いた。でも不満には感じなかった。アストリッドの下地となる時代を、いとも生々しく描いていたからだ。

映画の中では荒涼とした北欧の農村のつましい生活や、厳格な母親が描かれている。しかし実際のアストリッドには、明るく近所の大人にも子どもにも慕われる父親と、父親と同級生で、学生時代には優等生で通っていた母親がいたらしい。母親は厳しさも持ち合わせているが、それほど束縛の強い人ではなく、大らかでもあったらしい。そして兄が一人と、妹が二人。両親は農場を経営していて、人を雇用もしていたらしいから、それほど貧しいわけではなかったようだ。

アストリッドは、第二子の中間子らしく、なかなか意志が強い。思い切りもよくて、若いころはじゃじゃ馬、そしてモダンな女性で、若さも相まって様々なことを反芻するように考えてから行動する作家先生らしさはほとんどない。

学校を卒業すると18歳で、街の個人経営の小さな新聞社で、記事の校正や、時には取材などに行きながら、新しい世界に触れ、そして新聞社の上司で経営者の離婚調停中の中年男性と体を交わして、赤子をはらむ。時は1920年代、地方の農村では不義姦通には厳格で、また男性側の離婚が成立していなかったこともあり、アストリッドは世間の目をそらす意図もあり、首都・ストックホルムに、秘書の勉強と出産のために旅立つ。

そして、不義の赤子をデンマークの里親に預けて勉強し、やがて電話交換手のような仕事をしつつ男性の離婚を待ち続けるが、想定より長い時間がかかり、そのうち相手への気持ちが離れ、生まれ育った街にも帰らずに、出版社のタイプ打ち等で働きはじめる。ところがやがて、デンマークの里親が体を壊して、実子の男の子を引き取ることになり、母一人子一人で都会で働くシングルマザーになる。

のちに国や世界を代表することになる女の子が若かりし時代、古い慣習を乗り越えて思いのまま生きて、時に不遇に悩み苦しみ、やがて母親となり、女性が一人で生きていくのが難しい時代に、必死に生き抜く赤裸々なストーリー。

母親と今ひとつ噛み合わない理由や、男性との離婚に至る思いの変遷、長靴下のピッピの挿絵を担当する女性との関係など、描いてほしい箇所をしっかり描きこんでいないように見えるのが惜しいものの、この女性作家の創作の源流に触れられた喜びを感じた。

また、アストリッドがリンドグレーンになってからのことは、ほのめかしのようなものでしかなく、ほとんど描かれていない。おそらくそれは、リンドグレーンが作家になってから、とても積極的にメディアに登場し、様々な発言を行って国民的な支持を得る存在になっていったからで、スウェーデンでは作家としての彼女のことは誰もがよく知っていたからではないかと思う。

1907年に生まれ、2002年にこの世を去ったアストリッド・リンドグレーン。並走する存在だった近隣のフィンランドのトーベ・ヤンソン。彼女たちより前に、ニルスの不思議な旅を描いて、北欧の女流童話作家の先鞭をつけたセルマ・ラーゲルレーヴのことなどもつい思い起こす。

また、リンドグレーンの作品はピッピと、山賊の娘ローニャぐらいしか読んでいないが、特に処女作のピッピは、設定や序盤の風呂敷の敷き方は見事で愉しい作品だが、後半にかけて、ややとっ散らかって、まとめ切れていない印象があったが、それは若きアストリッド・リンドグレーンがまず動き、それほど先々のことを考えこまない、行動の人で、演繹的な作風だったからではないかと思う。

女性が活躍しずらい時代に生まれて、ひととき理解者のいない闇の底に落ち込みながらも、そこから光の中へと這い上がったアストリッドに、最晩年に寄せられた子どもたちの合唱が流れるエンドロールが進むにつれ、ふと回想を余儀なくされて、また文字のテロップがにじんでしまった。