Ad:〜へ
Astra:彼方へ
ラテン語では「星の彼方へ」を意味する今作。
近年流行りの、映画冒頭、映像のみ配給会社のロゴを流して音声は作品に応じて変更され1番初めからその映画に引き込むという手法である。
この手法は、観客が一気に映画に入り込み「お〜っ」と注意を完全に引き込むのにとても適したものである。この、「Ad Astra」もこれを用いているのだが案の定緊張感が高まり一気に焦点を集められた。どのような、演出だったのかはぜひ劇場へ足を運んで体感してもらいたいのだが。
さらに、この作品を通して感じられたのは映像の美しさと解像度の高さである。
宇宙をテーマにした映画は数多く輩出されどれも手の込んだ素晴らしい出来の作品が多い中、今作はもちろん宇宙空間の演出は素晴らしく、海王星の存在感は宇宙の真髄に迫るべく神秘的で好奇心が掻き立てられたのだが、その映像の素晴らしさだけでは終わらないのであった。
予告編でも匂わせていた父と子の、ヒューマンドラマである。
研究者というピュアで一途な生き物が辿る究極の運命と、極限状態での任務。一般人からすると、クリフォード博士の行動は狂気じみて裏切り行為である。と簡単に片付けられるかもしれない。
しかし、問題に対して真剣に立ち向かう博士と、宇宙空間という極限の状態。それを考慮すれば、人道からは外れていると非難される行為も、私は博士の行動が理解出来る。
なんと言っても、ロイ少佐の心境変化が、丁寧に描かれており初めは何事にも動じず、機械的な人物が天文学的数字の距離を経て父との再会を果たすまでに過酷な試練をくぐりぬけ、変わっていく姿と、突きつけられた現実には涙した。
ネプチューン(海王星)までの、果てしなく続く旅路は1人で船内だけという孤独感と戦うのは、長い旅の先に父や、家があるからこそ成し遂げられたことであるが、到底成し遂げられることの無いということを行きだけではあるものの長くシーンを用いて苦悩や葛藤を表現しているのは、感情移入がよりしやすくなりラストのシーンへの思いも募っていった。
まさしく、アドアストラであった。