あああげげげ

アマンダと僕のあああげげげのネタバレレビュー・内容・結末

アマンダと僕(2018年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

一瞬のうちに起きた本当に悲しい出来事は、その後も続く日常の所々に影を落とし、悲しみや苦悩を抱え込んだまま生きていく事になるんだなぁ、と感じた話。
悲観的な意味だけではなく。

主人公のアマンダとデイビットは、
パリの公園で起きたテロによって
アマンダにとっての母であり
デイビットにとっての姉である
サンドリーヌを失ってしまう。

母親を失った悲しみよりも、
その後に続く生活が、母親の不在や
それまで親しい他者でしかなかった
デイビットの介入により
急速に変化していくことへの、
アマンダの苛立ちに焦点が当てられているのがリアルだった。
何はかくにも残された人達には、
生きていかなければいけない義務があるし、それが切実な問題だから。

デイビットの方も最愛の姉を奪われ、自分の人生がしっかりと定まっているとは言えない中、姪の後見人になり、他人の人生を背負う決断を迫られる。

生きる事に怯え、苛立ち、何もわからないまま目の前に立ち起こる毎日を、精一杯生きていくしかない。

そう言った苦悩がよく表現されていたとと思う。

それと、それぞれのキャラクターの感情の描かれ方が印象的だった。
決して派手じゃないし、斬新なものだった訳ではないんだろうけど、その時キャラが感じた感情がどういうものなのか想像させられるカットになっていた。

例えば、公園でテロが起こりデイビットが
サンドリーヌの死を知るシーンでは、人々が倒れ、サイレンが鳴り、悲惨な事が起きたという事しか分からないようになっている (サンドリーヌの遺体映し出される事はない)。

何かが目の前で起こり、最悪の事態の可能性について察知するデイビットの表情から、その絶望感を読み取ることに注力されているような描き方だった。

フランス映画はあんまり観たことは無かったけれど、こういう余白から何かを読み取るような表現は、お国柄のようなものなんだろうか?

ストーリー以外のところでいうと、
フィルム撮りのようなザラッとした乾いた映像や、劇中のインテリアやファッションがとても好みでした。