「憂鬱さえも彼方へ送る、スーパー・エンターテインメント」
スモールバジェット・ビッグヒットも頷ける、最高峰のエンタメ映画だった。
ジャンル分けは不毛、メッセージも深く考える必要はない。
監督がおもしろい映画を作りたかったと語っている通り、
始まったのなら、ただただこの映画にぶん回されれば大丈夫。
114分間、待ったなしで楽しめる。
会社員、田中征爾監督による初長編作品であり、撮影期間は週末をつないだ僅か10日間、予算は300万ほど。
よくこれだけ限られた条件で、これほどおもしろい作品が生み出された。
いや、どんなに限られた条件でも、おもしろい作品は作れるという、最高に喜ばしい結果だ。
東大卒、実家暮らしの内気なニート。
世間知らずのアホに見える気鋭の殺し屋、凄腕の殺し屋。
前○友作似のヤクザ、軽妙な口調の銭湯の主人。
笑顔が眩しいヒロイン、魅惑のフィリピーナ。
登場人物の誰もが、映画の心地よさを演出してくれる。
映画の序盤で主人公の和彦とヒロインの百合が再会して交わす会話のシーン。
実際のところ、その時点での和彦の挙動や言動はおもしろいながらも不安になった。
コミュニケーションが苦手なキャラで、観ていてコミカルなのだが、ずっとこれで押し通すのか、と。
映画はある種の乗り物。
主人公の行動と言動が、その乗り物のスピードや高低差、周りの景色をつくっていく。
だからこそ、乗り手である観客が望んだ速度と緩急、落差や世界観でないと抵抗が生まれる。
その主導権を握っているのが主人公だからこそ、これは途中から観るのが苦痛になるのではないかと感じさせた。
しかし、それも全てが杞憂に終わる。
それこそ、本作が低予算ながら極上のエンタメである大きな所以だろう。
和彦の行動、反応、セリフは観ているこちら側に、これだ!というものを与えてくれる。
内気で、女の子との接し方に慣れていないのは確か。
けれど陰湿や陰鬱ではない、ただただメランコリックなのだ。
和彦が操縦する本作は、見事に心地いい。
田中監督の絶妙な手腕に唸る。
そして、和彦のメランコリックな世界を彩ってくれる誰もが心地よいトーンでドラマを展開してくれる。
殺し屋であり銭湯で共に働くバディ、松本もまた最高のキャラクター。
伊坂幸太郎の殺し屋シリーズに出てきそうな、現実と非現実を行き来させてくれるドラマチックな男だった。
夜な夜な殺しが行われる銭湯から、和彦の人生は変わる。
視線も交わさずにいるはずだった人間たちが和彦という人間を変えていく。
メランコリックを忘却の彼方に吹き飛ばし、ロマンスとバイオレンスが降り注いでくる。
東大でも吹き飛ばせなかった憂鬱、見つからなかった生の意味。
観れば分かる、身を任せれば楽しめる。
こんな身近な世界から、映画の楽しみを多くの人に爆散させてみせた田中征爾監督。
あなたはカッコいい。