マンボー

運び屋のマンボーのネタバレレビュー・内容・結末

運び屋(2018年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

老いさらばえたクリント・イーストウッドのややおぼつかない足取りや、緩慢な身体の動き、血管の浮き出た腕や、毛量の減った白髪に、シワが増え角度によってやつれたようにさえ見える顔、それでいて威厳を保つ大柄な骨格、強気で力のこもる声やそぶり、ふとした時の姿勢の良さなど、退役軍人らしさとかつてのアメリカを象徴する男っぽい二枚目俳優らしさとがあいまった佇まいが何とも言えない。

元々は地味で暗めのストーリーで、ひとつ間違うとB級映画になってもおかしくないのに、しっかりと観せきるのは、物語の余計な枝葉をしっかり剪定しながら、軽妙さや明るさをも備えているから。

若い日には苦労をしながらも、着々と地歩を固めて俳優としての名を成し、以降老境に差し掛かった頃からメキメキと作り手としての腕を磨いて、確固たる地位を築いたイーストウッドだが、私生活では、堅実な映画作法に反して、不倫と離婚を重ね、若い女性に執心し、奔放な人生を突っ走ってきたことを思うと、仕事一辺倒で家庭を顧みなかったことを今さら後悔している同年輩の老人を演じる姿を見せられて、この映画を素直に本音と解釈してよいのか、あくまでオーソドックスな世間の潮流におもねった演技とかんぐるべきなのか、正直に云って困惑させられた。

イーストウッドの映画には、被写体から少し離れて映している感覚がある。実際にロングショットを多用するわけではなく、ほどよく物語の全体像が見えやすい構図や演出で、客観性や公平性に富んで、かなり理性的に、観る側に配慮した分かりやすい映画作りを、しっかりと意識している印象がある。

ただそんな理性的な演出は、行きすぎると冷たいイメージになるが、彼の映画は必ず人間性に踏み込む。情熱や熱意、高い志や精神性。あからさまな場合もあれば、秘められる場合も多く、最後まで抑制されることもあれば、噴出することもある。ただ、どの作品にも、しっかり熱がこもっていて、冷たい印象は残らない。それが彼のフィルムが、クラシックながら、毎回確実な魅力をたたえている秘密のように思う。

そしてこの映画では、オープニング、そしてエンディングのデイ・リリーの花が美しい。たった1日しか咲かないはずの花が、映画のポイントになる場面で華やかさと可憐さをまとって咲いていて、あまりにも印象深い。

このデイ・リリーの花は、イーストウッドが演じる農夫のアールが家庭を顧みず、仕事に打ち込んで作り上げ、ついに称賛を得た作品という設定であり、それはもちろん現実世界のクリント・イーストウッドにとっての映画作品にも重なるが、その花の一瞬の見事な輝きが、家族のつながりや、物質的な成功の盛衰にも重なり、さらにフィルムに焼きつくことで、より普遍の美しさを保つことに、花や人間の人生と、映画作品の存在の意味を感じさせる。

一時は花職人として成功しながらも、家族は離れてゆき、しばらくして農場も破綻し住む家すら失って、後戻りのできない人生の終わり近くに、ほぼ失っていた家族とのつながりを、ふと誘惑に引き込まれて、手段を選ばずに取り戻そうとする行動、少しずつ組織と警察とに追い詰められ、逃げ場がなくなってゆく展開はやるせないながら、悪事が露見した際の潔さや、家族関係の修復具合に奇妙に爽やかな印象も残る。

後ろ暗さと楽天的な明るさ、哀しさと心地よさとが奇妙にも絡み合う、意外に爽やかで、それでいて味わいのある佳作だったと思う。そして何より、合間に流れるポップスもジャズも絶妙すぎる!