秋日和

運び屋の秋日和のレビュー・感想・評価

運び屋(2018年製作の映画)
3.5
イーストウッドの姿を新作映画で目撃するのは、たぶん『人生の特等席』以来だから、随分と久し振りの再会だった。多くの映画ファンが知っている通り、この人は自分自身を劇中で度々痛め付けてきているのだけど、本作の場合はその行為のなかに少量の悲しさが混じっている気がする。

若い映画を撮る、と世間から言われながらも、イーストウッドは80歳を超えている。映画的感性が若くても実際の肉体は確実に「老い」を含みきっていて、この映画では特にイーストウッドの実年齢を想像せざるを得ないシーンもあった。もしかしたら、その「老い」が先の悲しさを生んでいるのかもしれないけれど、これが演出なのか偶然なのかは果たしてわからない。
別に「爺さん」と言われようが、深く刻まれた手の甲の皺を見ようが、スマートフォンでなかなかメールを打てなかろうが(数字を入力するのは困難を伴う)、そんなことは構わない。でも、部屋の中を歩くときにそっと壁に手をついて身体を支えるあの姿はどうか。お腹に銃弾を食らった訳でもなく、身体を支えるために壁に手をつく。それを見て初めて、イーストウッドも年を取ったのだと思った。

けれど、この映画が凄いのは、決して悲しさだけで終わらないことだ。むしろ、殆どコメディと言って良い程お気楽な瞬間を何度も何度も見せてくれる。例えば、イーストウッドが運転する車を盗聴する後続車の売人が、スピーカーから漏れ聞こえてくるカントリーミュージックに合わせて自分たちも歌を口ずさんじゃうあの呑気さ。車の窓から華麗にスマートフォンを放り投げる鮮やかさ(素人の運び屋がつかの間に見せる馴れを感じさせる)。映画の中盤以降は、運び屋仕事の回数を示す「○○回目」という字幕が表示されるだけで面白い。

監督としても、役者としてもまだまだ観ていたいと思ってしまうのは単なる観客のワガママだと思う。今年はゴダールの新作も上映する。二人の年齢を考えると、これは奇跡だと思う。でも正直なところ、この二人がいなくなった後の世の中は、ちょっとまだ想像することができない。

「100歳まで生きようと思うのは、99歳のやつだけだ」