ポーランドで映画を学んでポランスキーらの影響を受けている石川監督。カメラマンもポーランド人。そのことを感じさせる、全体的に低体温の映像、キャラクターに必要以上に感情移入をさせない突き放した演出。邦画ではあまり見たことがない北欧風の作品だった。強いてあげれば「ゴーストライター」のような(?)硬質感。邦画最大手の東宝が大規模公開作品でこの選択を行ったことはちょっと驚きだった。
ただ、きっと、東宝シネマズの観客層なら、それぞれの若者の背景や経歴、家族、指導者たちをもっとウェットに描いて、最終決戦に向けてJ-POP調に盛り上げて欲しいと思うのではないか。また、冒頭から説明的なセリフとテロップで物語が展開されていくことが、より日本人好みの人間臭さを失わせていた。だから、この映画は公開規模に比した興行収入としてはあまり良くない結果になるだろう。でも、素敵な挑戦だと思う。
また、つくづく考えさせられたのは、邦画の役者の在り方。「かつての天才」として出てくるのが松岡茉優、斉藤由貴、苦労しながら音楽を続けている努力家が松坂桃李、さらに…となると、あまりに「家庭のリビングでお馴染みの顔」が並び過ぎて、せっかく石川監督が持ち込んだ北欧テイストの特異で斬新な映像センスと何かかみ合わないことが残念に思えた。
例えば、本作が欧米の映画で、出演者がほとんど見知らぬ人であれば、印象がかなり異なっただろう。その方が、日本の観客の評価もむしろ高かったかもしれない。まあ、そうすると、東宝なら日比谷シャンテ、でなければBunkamuraあたりでの公開にはなってしまうのだろうが。
でもこれは、役者や監督の責任ではなく邦画の構造的な問題だ。欧米の主演クラスは莫大なギャランティを受け取ることで一年単位である一本の映画に賭けることができる。でも、邦画はワールドワイドなマーケットを持たないので、役者たちは、映画だけではなく、テレビドラマ、バラエティ番組で好感度を上げてCF契約を勝ち取っていかなければ食べていけない。
本作の出演陣にしても、もし、この映画の役作りだけに二年かけることができれば、より名作になっただろうが、その環境を残念ながら今の邦画界は整えることができない。
制作陣も大作になればなるほど安心感を求めて抜擢をしないので、どの作品にも毎日のようにテレビで見ている顔が並ぶことになる。するとどうしても映画に「特別感」が失われてしまう。本作はそれでも新人を重要な役で起用して、状況を打開しようとはしていたが、監督の指向と配給の意向のギャップを埋めるまでには至っていなかったように感じた。
ただ邦画として新たな試みであることは確かで、最終的な興収や評価がどうなるのか、余計なお世話ながら興味深い。