Kuuta

僕たちは希望という名の列車に乗ったのKuutaのレビュー・感想・評価

3.8
ベルリンの壁が出来る前の1956年、東ドイツ東端のスターリンシュタット。ハンガリーの武装蜂起に向けて黙祷した受験間近の高校生が、反革命的とみなされて大人たちから尋問を受ける実話。

現題は「沈黙する教室」。対照的な性格のテオ(レオナルド・シャイヒャー)とクルト(トム・グラメンツ)が並びあう座席、あの教室自体が分断された思想の入り混じるドイツという国を表しており、多数決と同調圧力がクラスを混乱させる展開は、現実のナチスの台頭に重ねられている。黙祷が成功した高揚感から机の上に立ち上がったクルトをテオが「やめとけ」と諭すのは、ナチスへの反省や嫌悪感がさらりと込められた良い演出だった。

東側の大人が全て悪いかのようなバランスにしていないのが今作の良い所だと思う。テオたちも明らかに若気の至りな感じがするし、彼らが窮地に陥るのは西ドイツの誤報(プロパガンダ?)に踊らされたため。1956年の時点で「素晴らしい社会主義を作る」と大真面目に語る大人がいるのも当然だろう。

おかげで単なる「(西側の)信念を貫いた少年の感動ストーリー」とは言いようもない、良い意味でモヤモヤの残る映画になっている。

彼らのヒロイックな行為が、仲間同士の嘘や軋轢を生んでいく。希望のためにずるずると立ち上がった生徒と、震えながら最後まで立ち上がらない少女、どちらに未来があるのか?

戦争を乗り越え新たな時代を作る。そんな「希望」を合言葉に思考停止してばかりで良いのか。邦題には皮肉も込められている。反ファシズムの名の下に共産主義を支持するのが東ドイツの正義だとして、それは同胞を捨ててソ連に媚びを売ることでもあり…。ナチスの影を背負い続けるドイツの自問自答がこの映画には詰まっている(同じ敗戦国である日本でこういうテーマを扱ったらどうなるのだろうか)。

テオは労働者の「希望」だったはず。彼の自宅のシーンでは、父親の工場で経験した「ドーン」という音が小さくも重々しく響き、テオにプレッシャーを掛け続ける。彼が作る偽物の四葉のクローバーは、四か国に分割統治されたドイツの再統合を象徴しているのだろう。

戦争の傷跡を隠す大人の息苦しさが子供たちに連鎖する。どこかミヒャエル・ハネケの「白いリボン」を連想した。

人物の隠された設定が絡み合う脚本は良く出来ているものの、映像は普通だし、話運びも平坦なのは残念。展開はあらすじからほとんど想像付いてしまう(歴史の知識が全然足りておらず、彼らの心情を完璧に掴めたとは思えないが)。

そんな中、後半のエリック(ヨナス・ダスラー)の展開は意外性もあり非常にドラマチックだった。彼なりの自尊心、アイデンティティがズタズタにされる、逃れようもない痛々しさ。ちょっと泣いた。

色々深読みもしてしまったが、冒頭シーンを思い返すと「おっぱいを巡る青春群像+バレるかバレないかサスペンス」という基本構造はしっかりと示されている。この2点を軸に軽く楽しむも良し、真面目に東ドイツの歴史を紐解くも良し、という良作だと思う。77点。
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