TOSHI

僕たちは希望という名の列車に乗ったのTOSHIのレビュー・感想・評価

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私が映画で重視するのは、今を描いているか、現実からどれだけ飛躍しているかであるため、大昔の実話という設定には、いきなり蹴つまづいてしまう。そのため本作も公開時に見逃してしまったが、「アイヒマンを追え!」のラース・クラウメ監督の作品であり、良い映画であるのは間違いなさそうで、上映があったため観賞した。

1956年、ベルリンの壁建設の5年前の、旧東ドイツ。進学校に通っている、労働者階級出身のテオ(レオナルド・シャイヒャー)と上流階級出身で親友のクルト(トム・グラメンツ)は、ナチス党員だったテオの祖父の墓参りに、西ドイツに行く。壁が無いため、まだ東西の移動が可能だった時代だ。列車で国境を超える際に、乗って来る警察による尋問が緊迫感をもたらす。
二人は東ドイツでは上映されない、娯楽映画を観るが、上映前のハンガリーの旧ソ連の支配に対する民衆蜂起を描いたニュース映画に心を奪われる。帰国しても動乱が気になる二人は、クラスメイト・パウルの叔父の家に行く。そこでは、西ドイツのラジオを聴く事ができるのだ。事態は深刻で、数百人が犠牲になり、ハンガリー代表のサッカー選手・プスカシュも死亡したと報じられていた。クルトはクラスメイト達に、ハンガリーのために、2分間の黙祷をする事を提案する。何も答えない生徒達に、歴史の教師は激怒する。
現代の民主主義下でも、授業中に集団で黙祷したら問題になるだろうが、冷戦時代の社会主義下では、その影響は想像を超える。郡学務局・ケスラー(ヨルディス・トリーベル)、そして遅れてやって来る、人民教育相・ランゲ(ブルクハルト・クラウスナー)の高圧的な姿勢。些細な出来事に国家が介入して、生徒達を締め付けて来る事に唖然とさせられる。こんな些細な事で、学生達は国家の敵になってしまったのだ。

レオはプスカシュ選手のために黙祷した事にしようと、皆に持ち掛けていたが、ランゲは政治的意図があると断定し、首謀者を教えなければ、クラス全員に卒業試験を受けさせないと宣言する。当局は、皆とは同調していなかった、クラスメイトのエリックを首謀者として追求するが、彼の父親に秘められた過去が露わになる…。

大戦後であり、直接的ではないのだが、やはりナチスを巡るドイツ映画は重い。現代には無い全体主義下で、信じられないほど人権が無視され、国家が個人を抑圧する。私が映画に求める現実からの飛躍とは逆で、現実の重みに圧倒される。徹底したリアリズムによる、こういった作品も、映画の醍醐味だと認めざるをえない。
本作の学生達は、戦後の新世代であり、それが社会主義の国家や、戦争の負の部分を色濃く残す親達から、サディスティックに迫害される描写に、打ちのめされる。そして、「希望という名」とも言い切れない、列車に乗る学生達が余韻を残す…。

50年代の出来事だけに、20世紀中に作る事ができた映画ではある。21世紀に入っても、何度も絶望を経験している現代人には、50年代に生まれた「希望」は、隠喩に過ぎない。しかし映画は最終的には、約2時間の間、どれだけ観客を支配できたかの勝負であり、その意味では、最高の作品だろう。
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