亘

象は静かに座っているの亘のレビュー・感想・評価

象は静かに座っている(2018年製作の映画)
4.2
【無関心】
中国北部石家荘市。炭鉱業がさびれた寒々しい町で、4人の男女が普段通りの憂鬱な朝を迎えていた。しかしその日起きた事件から彼らは町を出ることを決意する。

閉塞感漂う中国北部の都市を舞台に社会に充満する無関心や不寛容の重なりを描いた作品。序盤は群像劇のように見えるが次第に彼らのストーリーが絡み合い、彼らの想いは満州里へと向かう。空は終始曇り空。人々は皆自己中心的で温かみがない。この先劇的に事態が好転することはあり得ないけど彼らなりに必死に生きているのに、偶然の重なりが悲劇を生む。4時間近いのにずっと見ていられるのは、必死にもがく彼らの姿を丁寧に描いているからだろう。

また本作について外せないのはフー・ボー監督。本作は監督の29歳での初長編作品でありながら遺作。本作の緻密さや重みは29歳の作品と思えないし初の長編とも思えない。2時間の尺にまとめたいプロデューサーとの対立もあったようだけど、この監督の作品がもう見られないのは残念。

本作の主要登場人物は4人。その日各自にとっての事件が起こり満州里を目指す。
ブー:男子学生
学校の不良シュアイの携帯を盗んだと疑われた友人をかばううちにシュアイを階段から落としてしまう。一方で家では傲慢な父親に日常的に怒鳴られ、母親からも愛情を受けていない。リンとの町脱出を目指す。

チェン:チンピラ
その朝彼は友人の家で目が覚める。前夜に友人の妻と寝ていたのだ。しかし想定外にも友人が帰宅し現場を目撃されたことで友人は飛び降り自殺。彼はその罪悪感にさいなまれる。

リン:女子学生
母子家庭だが家事をほとんどしない母親とうまく行っておらず学校の副主任を関係を持っている。しかしその動画が流出してしまう。

ジン:老人
子供の教育のために家賃の高い文教地区への引っ越しを検討する娘夫婦から、立ち退きと老人ホームへの入居を求められる。

彼らはみな他者からの愛情を受けておらず社会の無関心の犠牲者ともいえる。例えばブーは両親の愛情を受けていないし、終盤かばっていた友人からも裏切られる。チェンは町でも有力なチンピラだが好意を寄せる女性からも冷たくあしらわれ、両親には弟シュアイの方が可愛がられている。リンは動画流出を打ち明けると密会していた副主任から非難され捨てられる。ジンは娘夫婦から冷遇されている。そのほかにも犬を探す女性はジンの犬を気にしないしチェンの部下はブーに偽のチケットを売りしらばっくれる。みんなが自己中心で他者に無関心なのだ。

無関心の積み重ねが悲劇を生み、彼らは町を出ることを決める。たしかにこの町は閉塞感が漂いこの先の希望も見えない。だからと言って町を出ても急激に好転するようにも思えない。作中の言葉の端々からも、世界への失望だったりニヒリズムが感じられる。チェンは「クズじゃなくなって現実が変わるか?」と語り、リンの母親はリンに向かって「そんなものよ。私の人生。あなたの人生」と罵り、ジンは終盤になってブーに「どこへ行っても同じ」と語る。半ば人生にあきらめているのだ。

そして彼らが目指すのは、本作のタイトルにもなっている座っている象。この象は観客が何をしても動じずにただ座っている。本作のテーマでもある"無関心"の象徴だろう。彼らは無関心や閉塞感が支配する世界で、この象に共感を感じていたのかもしれない。

終盤ブーたちは満州里へと発つ。いざ町を出てもずっと画面は暗めだし、彼らの前途が好転するのかわからない。それでも注目したいのは最後の最後の象の鳴き声である。ずっとただ座って"無関心"の象徴だった象が鳴くのだ。これは"無関心"が解け始めた好転の兆しに思える。実際に終盤になって4人の間では助け合いが起きていた。チェンはブーに似たものを感じてブーを助けた。ブーとリンは離脱しようとしたジンを見捨てなかった。そんなささやかな"他者への関心"が生まれたことで彼らの状況は変わっていくのかもしれない。

印象に残ったシーン:チェンがブーを助けるシーン。
象の鳴き声が聞こえるラストシーン。
亘