狭須があこ

キャッツの狭須があこのレビュー・感想・評価

キャッツ(2019年製作の映画)
2.8
一番の原因はCGじゃないですね。
カメラワークだと思います。

ミュージカル映画のレビューほぼ全てで言っていますが、私はミュージカルという表現が舞台だと好きで、映画だと嫌いな人間です
私にとっては映画と舞台はずっと全く違うものなんだけど、両者を「違う」と認識してる人に遭遇したことがない。

昨今、流行りのミュージカル映画。
ここまでの混沌にブチ当たったことで根本的な2つの違いが露骨に見えてしまい、「人気の舞台が映画化してコケた」現象になった。
皆が「!?」ってなってるの、めちゃめちゃ面白いと思います。私はとうとうやらかしたか、と思いました。

んんん
と偉そうに言っておいて「キャッツ」舞台版を見てないんですね私は~~~~~
なんだよこいつ偉そうに

なので残念ながらこれは想像なんですが、これ多分めっっちゃ舞台版を好きな人が、舞台に忠実に作った映画だと思うんですよ。
本当にそのまま、映画にしてしまった。
でもね、でも、

映画にはないんですよ。
上手と下手が。

舞台にはないんです。
カメラワークが。

あのですね
映画のカメラワークって恣意的なんですよ。世界の一部を監督の手で切り抜くのが、映画。
対して舞台は、上手から下手までの舞台上が全て見えてて、客の視点はキャストが誘導していきます。

歌う猫。見てる猫。それを見てる猫。
3匹の猫がいるとして、上手から下手までに入っていさえすれば、全員が常に見える。そのなかで注目すべき人物を客にわからせるのが舞台の力です。
でも、映画はそれぞれの顔をカメラが交代でうつすことしかできないので、情報量が圧倒的に舞台より少ないのです

だからミュージカル映画って、歌って踊るたびにストーリーが停滞して、結果「ストーリーが薄っすい」もしくは「ストーリーを別に入れるために尺が長い」のどちらかになるワケ

「キャッツ」、元々ストーリーがなくて歌って踊るだけの作品なので、舞台上にあるはずの圧倒的な情報を普遍的な映画用のカメラワークで切り取った結果、だから中身が何もなくなった。
あるはずの魅力をほぼお漏らしすることになったんだなと感じました。

素人がこんな提案おこがましいけど、カメラをぐるんぐるん回すとか、ズームしまくるとか、逆に長回しで一人を映し続けるとか、カメラの意思の見えづらい、特殊なカメラワークを新たに開発すべきだったんではないかなぁ…

頭から爪先までキャストが表現しているはずのダンスの真っ最中に、パッパパッパとカメラが切り替わるのマジで意味がわからん。
そこを見せずに何がしたいの?あなたたち

だから、最後のジュディデンチの唐突なデッドプールは、長回しで撮られてて正直一番良かったです
周りの猫の聞いてる顔がずっと見えてる。
それだよ多分必要なの。シーンとしては、一番意味がわからんかったけど

でもまぁ、CGもやっぱめちゃめちゃダメですわ
猫の可愛さが消え、人の賢さも消え、異形と化した人面猫たち。ナマの舞台と違ってCGが使えるっていう、撮影ありきの映画の優位性をなんで殺した?

クオリティの話してません
むしろこのハイクオリティで人面猫ができるなら、全部猫にできるじゃん。人面猫にした意味なに?「舞台リスペクトで舞台に寄せた」?
C G ガ ン ガ ン に 使 っ て る だ ろ う が
CGで可能なはずの全部猫にせず、衣装で再現可能な舞台猫もやらなかった理由、一体なんなんですか?

映画の欠点を「だって映画だから仕方ないじゃん」舞台の欠点を「だって舞台だから仕方ないじゃん」で放棄して生まれた、中途半端の結晶、ハイブリッドの悪夢というカンジでした。

「舞台を映画で魅せる」ための、変換の努力をマジで何ひとつしてない。

まぁでもミュージカル映画、大なり小なりこうだけどな
たまたま阿鼻叫喚キメラになったけど、そもそも名作ミュージカル映画も楽曲や映像や雰囲気のよさで、騙し騙しヒットしてるだけだと思ってます。ミュージカルと映画は相性最悪です

くそ長文書いちゃったごめん。
よかったとこ?

…舞台版をちゃんと見ようと思った
狭須があこ

狭須があこ