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男はつらいよ お帰り 寅さんのkmtnのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

帰ってこなかった寅さん。



寅さんのどれかのレビューでも書いたけど、
元々「男はつらいよシリーズ」を一作も観たことのなかった僕を、シリーズ全作一気観に駆り立てたのが、
今作「男はつらいよ おかえり寅さん」の特報映像だった。
「この映画は50年かけて作られた」なんてキャッチフレーズを目にして、
「49作観てから、これ観たら死ぬほど感動するんじゃないかな?」と思っていたら、
たまたまNetflixに全作品あったのを発見してしまい、この長い旅が始まった。



49作観て、僕は正直、自分でも驚くレベルで寅さんのことが好きになっていた。
恥ずかしい話だが、会社の年配者に「ヒロシ(前田吟)」のモノマネを披露し、笑いを取ったり、
時たま湯船に浸かりながら、寅さんの喋り方を真似てみたりと、
日常が寅さんワールドに確かに浸食されていた。
寅さんというアイコニックなキャラクターは後にも先にも日本に誕生することはないと思う。少なくとも実写のキャラクターでは。



結局、劇場公開中には、シリーズ全作制覇が出来なかったので、
レンタル開始の今週やっと、「おかえり寅さん」観るに至りました。
結論を書くと、駄作……とは言わないが良くはない。
「男はつらいよ」かもよく分からないという代物だと思った。



男はつらいよという作品群は、
今の時代から観れば、「古き良き日本」を写した作品である。
令和の時代に生きる僕は、そんな過去の日本の映像の中に少しの「現代と共通する要素」を見つけては、リアルを感じていたのではないかと思う。



一方、今作「おかえり寅さん」の舞台は今僕の生きているのと同じ、「令和の時代」の物語である。
正直、これは山田洋次の演出のせいだと思うが、キャラクターが嘘っぽすぎる。



特に今作からの登場のミツオの娘「ユリ」とその幼馴染みの高校生(もはや公式サイトにさえ名前が載っていないんだが)は相当酷い。令和の高校生像ではない。



恐らく、山田洋次は、本作では「寅さん=ミツオ」であるから、
ミツオの最も身近な女性キャラクターである娘のユリを「さくら」の様な聖母的なキャラクター設定にしたのは分かる。
名前も花繋がりだし、片親とは言え、実の親を亡くしているという部分も共通している。
つまり擬似的な「男はつらいよ」を作りたかったんじゃないかと感じる。
しかし今作だけを観ると、ユリはさくら以上に男(というかオジさん・おじいさんくらいの年齢の人)にとってのただ都合の良い、理想の10代女性という感じで、
こう言うのは死ぬほど失礼なのは承知で言わしてもらうが、こんなのはオッサンの「俺が考えた理想の孫」とでも言う様なグロテスクな妄想の産物みたいなキャラクターである。
ただただ非現実(まぁこれを言い出すと、さくらのキャラクターも相当非現実だけど)。



さらに、吉岡秀隆の随所に挟まれるナレーションも絵本の読み聞かせの様な、あまりにも演劇的すぎるセリフ読みで、ちょっとどうなのか。山崎貴の毒にあたりすぎたのでは?
まだナレーションであれば、百歩譲って許したが、
後半で、泉に対して声に出して言葉にしていたので、震え上がった。
独唱さくらからピアノを抜いたバージョンでも聴いてる様な気分です。



そう言った要素のひとつひとつが、自分の生きる今の時代の話だからこそ、作品の嘘っぽさが過去作よりも強烈に鼻につくし、すごくノイズになる。



それら、キャラクター造形も気になるが、単純に物語の構成も「男はつらいよ」のテンプレートからは外れており、
これが「男はつらいよの最新作ですよ」と言われると、違和感が強い。
勿論、寅さん不在の作品である以上、いつもと同じなのは不可能なのは分かるが、これが今までの総決算!と言われると、なんだか納得がいかない。
じゃあどういうストーリーにすれば良いのかと言われると難しいが、そもそも作らなくて良かったんじゃない?って思っちゃう。



オチの「お帰り、寅さん」の伏線も、冒頭で「ミツオが小説家」と提示され、また何やら新作の内容で悩んでるという話になった段階で「もしや……??」と思っていたら、案の定で悲しかった。



なんというか、山田洋次を始め、作り手は皆んな、渥美清や、エンドロールにも出ていた亡くなった皆んなの思いを背負って作り上げたのが今作だとは思う。それは嘘偽りない真実だと思うんです。
だけど、これでいいんだろうか?
確かにラストの過去のマドンナの釣瓶打ちは、多少泣き所ではあるが、
過去の遺産を食い潰しているような感覚もあった。



中盤に泉が「くるまや」に泊まるシーンで、さくらが「お兄ちゃんがいつ帰ってきてもいいように」というセリフがあり、
一応、寅さんは今も生きているということは示される。
どうせ生きている設定にしてるのならば、
最後の最後に寅さんの足元だけ映して(全身は映さず)、「おぅ!さくら、ひろし、ミツオ!ただいま!!」くらいのセリフがあれば、死ぬほど泣いたんじゃないかなとか思ったり。
そこで白抜きの題字で「おかえり寅さん」とスクリーンにバン!と出て終わるとかどうですか?ダメですか??
まぁ不在の美学というか、見せない良さがあるんだろうけど(と言いつつ、結構CGで出てくるんだけど。どうせ出すならば、「ハイビスカスの花 特別編」みたいにチラッと見せるくらいの方が粋だと思うが)。



あと、ラスト。
泉、お前、ホント変わらねえなあ。
ミツオを適度に揺さぶり続けるの、良い加減にやめてくれる?
だから昔のレビューでも書いたけど、「菜穂ちゃん(牧瀬里穂)」にしろって言ったんだよ!!
とは言え主人公をマドンナが揺さぶるという意味では、ここの部分だけは正しい男はつらいよの在り方を見せてくれた気もする。
さらに言えば、渥美清が第1作目の段階で41歳で、必然的に歴代のマドンナも同世代くらいの年齢の方が多い。
去年45歳のゴクミは、今作で年齢的にも正しい意味での男はつらいよのマドンナになれたんじゃないだろうか。



まぁなんか、フィルマークスの感想観てると、文句を言っているのは僕だけなんで、僕の心が死んでるだけなんだろう。
さーせん。



一応、良いところをちょこっと書くと、
過去の男はつらいよからの抜粋シーンは、流石は、あえて選ばれたシーンだけあり、かなり笑える。
かの有名なメロン騒動や、予告編でも流されていたミツオの運動会に参加する話などなど。
でもやはりそれは、やっぱり過去の遺産なんだよなあ。



この作品が現在進行形にはなり得なかったのが、悲しい。
寅さんはどうやら生きているらしい。
でもここにはいない。
そして、寅さんがいない「男はつらいよ」は、なにもないのと同じだった。



余談だが、今日この作品を見る前に、
過去作のことを思い返していたのだが、
渥美清の遺作「寅次郎 紅の花」のアバンタイトルで、
トンボを捕まえようとした寅さんが「へへっ、逃げられちゃった」とニコッと笑った顔をふと思い出した。
あの顔をもう一度だけでも観たかった。
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