何もかもが究極的

カムガールの何もかもが究極的のレビュー・感想・評価

カムガール(2018年製作の映画)
3.7
そう言えばネットは無法地帯だ。
ネットの世界は生まれてからまだ日が浅い。現実世界のように警察や軍隊が整備されている訳でもなく、自分達を守られる保障もない。
だからウェスタンのように自分の身は自分で守らないと行けない。
その分自由もある訳で、ネットでの攻撃は現実世界の様に怪我をしたり死んだりするわけではないので、手軽に危険を犯しスリルに浸る事が出来てしまう。自宅の机に向かってノートPCを開き、自分の裸体を晒し金を稼いでも、性病を貰う危険もなく身元がバレなければ娼婦と蔑まれることもない。そんな仮初の匿名性がウェストワールドのように、人の行動をエスカレートさせて無法地帯を作っているわけだ。
とありがちな話はここまで。
現実よりネット世界の方が滞在時間が長く、平凡な現実とは裏腹に、そこでは評価されている人間が、もしアカウントが乗っ取られたら?というのが本作の話だ。
アカウントだけでなく、自分の顔や家まで映像でコピーされ、ネットに存在する自分は完全に乗っ取られてしまう。仕事や評価をネット頼りにしていない世代にはピンと来ないかもしれないが、そうでない人種にとってこれは死んだも同じだ。
その温度差も本作では描かれており、ことの重大さを理解してもらおうと頑張る主人公が、周りのネットへの知見が浅すぎて上手く説明できないのが面白い。まるで外国での出来事ような描かれ方をしている。
またディープフェイス事件以降、顔の乗っ取りが簡単にできるネットだが、そのニュースが浸透していない為に、そのテクノロジーが黒魔術のようなホラーじみたものとして演出されているのも面白い。わからない物は魔法のように見えるし、人はそれを恐れるものだ。だからネットで配信されている偽の主人公が、偽の主人公の家を彷徨く映像が出る度に、主人公が偽物に襲われるんじゃないかと怖くなってしまう。

主人公はスターを夢見て、ニューヨークやロスに移り住んでいるわけではなく地元に住み続けている。SF作家アーサーシークラーク曰く、ネットが発達すると働く場所を選ばなくてもいいらしい。この作品では正にそれを代弁していて、地道にではあるが確実に価値観や生活様式を変えつつあるネットの力を感じる。
評価のされ方も、わかりやすくシンプルに人気出れば良いというもので、旧態依然として政治的な駆け引きはない。