小松屋たから

アストラル・アブノーマル鈴木さんの小松屋たからのレビュー・感想・評価

3.0
地方在住の自称YouTuberが、テレビからの取材依頼に舞い上がる。そして、製作サイドも、YouTube向けであったはずの作品(連続17話)を、既存メディアでブレイクしようとしている女優さんを主役に据え、一般映画として劇場公開したいと考えた(もしくは最初から決まっていた?)。

既存メディアの衰退と、自己発信ツールの発展が言われ始めてから久しいが、この映画は、YouTubeは、結局、既存メディアのアンチテーゼとしては機能しておらず、誰かの承認欲求を完全に満たす場にもなれていなくて、YouTuberたちは「既存メディアは嘘つく生き物だ!古い!」と振る舞いながらも、実は、地上波テレビや劇場公開映画に相当コンプレックスを持っている、と強烈に謳う内容にもとれるが、あれ、それで良いのかな?と思った。

もちろん、この主人公がすべてのYouTuberを象徴したキャラクターである、とこの映画が言っているわけではないけれど、延々と続く男二人のダメダメな取っ組み合いがあって(画としては可笑しいが)、それは今のYouTuberが流す動画のレベルを皮肉っているようにも見えたし、主人公が「引退宣言」をしてもまったく人が集まらないというYouTuberを揶揄したような場面もある。

だからこの作品の作り手は、結局、既存メディア重視で、「YouTuberなんて幻想」と、上から目線とまではいわないけれど、どこか斜め上から新興メディアを捉えているように思えてしまった。

でも最近、実際の人気YouTuberは、現実のライブでもかなりのお客さんを集めたりするらしい。なので、映画製作の工程こそ新しいが、内容は古い観念に縛られている作品なのではないかと…ひねくれ過ぎかな…まあ、自分も「やっぱり映画が一番!」派ではあり。

ただ、YouTubeが公式にこのドラマを配信していたわけだから、そこは確信犯としてのブラックユーモアで、何か一周回った既存マスメディア批判、風刺が込められていて、それを自分が読み取れなかっただけかもしれないです。。

地方で燻っている若者を題材にした映画や小説が最近、本当に多い。色んな「自己発信」が容易になればなるほど、逆に、「なんとかして自分が何者かを表現しなくては!」、と精神的に追い込まれる人間が若い世代、地方中心に増えていくのだ、ということに気づかされた。

拗れた人間どうしのせめぎあいを、ユーモアを交えた会話、独特の間で見せていく様は楽しい。松本穂香はもちろん好演。