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インソムニアのnetfilmsのレビュー・感想・評価

インソムニア(2002年製作の映画)
4.2
 繊維質に徐々に鮮血の赤が染み込んで行き、ヘリコプターは雪の荒々しく残った断面を捉える。赤とグレーの混濁がしばし無限ループのような状態に陥った後、空中を旋回していた飛行体は突如揺れる。その瞬間、うとうとしていたはずのウィル・ドーマー刑事(アル・パチーノ)は目覚め、我に帰る。通路を挟んで、隣に座った相棒のハップ・エッカート(マーティン・ドノヴァン)はLA警察の内偵調査の記事に目を通す。やがて水辺に停車した飛行体をエリー・バー(ヒラリー・スワンク)が笑顔で待ち構える。「ナイトミュートへようこそ!!」17歳の少女が撲殺された猟奇的犯殺人事件、アラスカの辺鄙な土地に応援としてロス市警からドーマー刑事と相棒のハップが派遣される。事件は72時間以内に捜査しなければと意気込むエリーに対し、ドーマーは24時間過ぎたから、残り48時間だねとアメリカン・ジョークで返す。早速被害者の自宅にやって来たドーマーは慣れた手つきで次々に捜査を進める。LA市警では難事件を何度も解決して来た刑事のやり方だ。真っ二つに千切られた写真の横に写る女の素性を聞き、不意打ちで彼氏に会おうとしたドーマーは今から高校に取り調べに行こうと告げるのだが、信じられない答えが返って来る。ここでもクリストファー・ノーランらしい「時間の錯乱」が主人公を襲う。逆行ではなくオーソドックスな時間軸に沿って繰り広げられる物語は、やがて主人公の意識を白濁させる事態に至る。

 『インソムニア』=不眠という原題を持つ物語は、エリート警官を神経症的な不眠に誘う。その発端となるのは白夜と呼ばれる24時間太陽が沈まない現象であり、彼の疑念を増幅させるのは、深い霧の中で謝って同僚を至近距離からガン・シュートした誤射である。前日の夜、LA警察の内偵捜査に恐怖心を感じたハップ・エッカートは、ドーマー刑事にことの次第を全て正直に白状すると打ち明ける。汚職を受け取り、上司からの訴追を恐れるドーマーの恐怖心や猜疑心に、深い霧の中で誤射した同僚の最期が重なる。一連の証拠を隠滅したエリート刑事は、8年前に同僚で、今はこの地で署長を務めるチャーリー・ニューバック(ポール・ドゥーリイ)や猟奇殺人事件の捜査経験の足りないアラスカ州警察を見事に出し抜いたように思えたが、その夜1本の電話がかかって来る。「俺は最初、5日間眠らなかった」男の言葉は底冷えするような冷徹さに満ちている。ここに来て不眠症の男は、自らの地位を脅かす第三者の恐怖に慄く。ランディ・ステッツ(ジョナサン・ジャクソン)やタニヤ・フランケ(キャサリン・イザベル)など、ノワール・サスペンス特有のミスリードを巧みに用いながら、ノーランが描きたかったのは自らの罪が自覚出来ない人物に他ならない。夜が来ないナイトミュートの街では、街に人っ子1人いないが昼間のように明るい。窓から差し込む僅かな光によりドーマーの恐怖はフラッシュ・バックし、ワイパーの動きに暗示にかけられる。白昼夢のような世界で、犯人と同化した主人公のラストは、一瞬の眠りなのか永遠の眠りなのか容易に判別出来ない。
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