【譲れないものとは】
ベース・ジャンプやフリーソロを筆頭に、数多くの怪我や死と隣り合わせのスポーツやスタイル、競技がある。
今作はその中の一つ
「ロデオ」の過酷さとカウボーイ(馬の調教等の牧場労働者)、そして家族の物語。
エンタメ性を排し実話を基にした人間ドラマ。主人公のブレイディやロデオで大きな障害を負った友人レイン、自閉症の妹を含めた家族自らが“本人役“で出演している。
監督:クロエ・ジャオ
脚本:クロエ・ジャオ
製作:クロエ・ジャオ、他
あらすじ
アメリカ、サウスダコタ州。カウボーイのブレイディは、ロデオの最中の事故で頭部に大怪我を負ってしまう。復帰への思いと後遺症との狭間で、自らの生きる意味を探し求めるのだが…。
自身が本人役を演じた映画は幾つもある。有名俳優が自分役で出る作品は多いが、“一般人“の場合は珍しいだろう。
テロ事件に巻き込まれた本人達が出演した「15時17分、パリ行き」や元刑事が本人役で主演し、当時担当していた未解決事件の真相に迫る「とら男」など。
誤解されがちだが、本人出演だから「リアル」という訳ではない。どうしても不自然さやぎこちなさ等の違和感がほとんどの作品で見て取れる。それは致し方ない。
“自分を演じる"というのはある意味1番難しい
今作にもそう感じる部分はある。特に序盤に。しかし、徐々に、時間の経過と共に、役と本人の「ブレ」の違和感が消えて溶け合う。それが如実に表れるシーンがある。
「暴れ馬を調教するシーン」
本当に荒ぶる馬を調教している。本物だ、それはそうだ本職なのだから。当然ながら役者では到底出来ない。
馬も、人も、景色も、光も、全てが一つになる
ノマドランドでも感じたが、監督が生み出す映像美は身震いするほどに美しく、その対比で主人公を襲う悲壮と恐怖、自身と取り巻く環境、その押し寄せる想いで胸が締め付けられる。
「実際に起きた大事故」
肉体的な傷、精神的な傷、後遺症、願望、期待、不安、家族、そしてその先へ。
連綿として続いてきた生業、歴史、土地、そして、もう1人いる主人公が友人のレイン。ブレイディとレインは表裏一体だ。だが、見方を変えればその一つ一つが呪縛にもなり得る。
物語自体は「ギルバート・グレイプ」や「レスラー」などに見受けられる、現環境と自分の想いとの狭間で揺れるよくあるテーマ。しかし、そこに描かれる現実はドキュメンタリーを観ているようで、より一層生々しい。
この作品が提示する問題や問い掛けに、正解や答えなどはない。葛藤し、選択し、それを抱えるだけなのだろう。
何を選んだとしても
何が起きたとしても