昨日の自分と今日の自分が同じであるという保証などどこにもないのであって、過去から未来へと続いている──かのように思われる記憶の連続性をたった一つの拠り所に、誰が仕組んだやも知れぬ人生と名のつく物語を演じさせられているに過ぎない。あるいは今、この瞬間、すべてが作られた記憶と共に始まったばかりだという可能性を誰が否定できようか。
ビッグバンより拡張を続ける宇宙の法則に従って、数多に存在しうる世界線のその支流の一つ、その刹那にこうして存在を疑うことだけが存在をかろうじて確かなものにしている。
デカルト的な──。
なんて、子どもっぽい妄想も聞けば量子論的にナシってわけでもなかったりするらしく。
あれは5才だったか、10才だったか、そんな幼心に抱いた哲学的思考のはじまりが今のSF好きであれ、映画好きであれ、ひいては世界観、人生観へと繋がっていることを思うと、よくぞここまで“リセットボタン”も押さずにきたなと。こんなパラノイアックな時間軸で。