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Fukushima 50のsanbonのレビュー・感想・評価

Fukushima 50(2019年製作の映画)
3.9
日本を救った男達の物語。

2011年3月11日当時、僕は東京の自宅で「ミヤネ屋」を見ながら寛いでいた。

すると、突然の大きな揺れに壁沿いに並んだ本棚の中の本が一斉にバサバサと落ちてきた。

経験したことのない揺れに、訳も分からず咄嗟に体全体を使って、落ちようとする本を抑えながらTVの方に目をやると、関西で生放送中の出演者達もかなり慌てているのが分かり、尋常じゃない事が起きている事を察する。

その直後「福島県」が、そして「福島第一原子力発電所」が日本史上最大の大地震により被災した事を知った。

そんな僕も、実は福島県出身なのだが、実家は山の方にある為、屋根の瓦が崩れ落ちる等はあったが津波の被害は一切無く、親類も全て避難区域30km圏外に住んでいた為、幸いにもこの災害による死者や被災者は、僕の一族の中からは一人も出る事はなかった。

当の僕自身も、冒頭にも書いた通りこの頃は既に東京に住んでいた為勿論無事だった。

しかし、全員の安否を確認できるまでの間の生きた心地のしなさは、リアルに心臓を鷲掴みにされているような感覚で、今思い出してもゾッとしてしまう。

そんな記憶が今でも鮮烈に残る"あの日"。

福島で実際暮らしていた時期は10年あまりと、今となっては短い時間となってしまったが、それでも生まれ育った故郷を襲った惨劇を擬似体験しなければならないこの作品を観る事に、はじめこそ躊躇いもあった。

しかし、だからといって知らぬ事にも出来なかったし、知るべき機会を放棄する勇気はなかった。

そんな心持ちで今作は鑑賞する事となったのだが、結論から言うと本当に観て良かった。

あの事故をほぼ現場目線でしか描いていない為、政府内、東電、本店などの動向についてはほとんど蔑ろで、十分な掘り下げができているとは正直言い難いが、この映画には間違いなく"覚悟"が乗り移っていた。

映像面、役者、演技、どれをとっても邦画史上最高峰なのは言うまでもなく、ストーリー面に関しても今作はドキュメントではなくドラマとして制作されているのだから、美化こそ勿論過剰にされてはいるが、脚色などはなくあの日現場で何があったのかをありのまま描き出している。

その為、解決策が見当たらず混乱の中必死に足掻く事しか出来ない場面ばかりだし、怒鳴り合うシーンなどでも特にウィットに富んだ掛け合いがある訳でもなく、映画的な演出で言えば展開不足なのかもしれない。

しかし、この作品の持つ意義は、あの事故に身を挺して立ち向かった人達を讃える事にこそあり、その人達の目線であの日の事をありのまま知る事が重要だと考えると、エンタメに特化し過ぎなかった事はある意味正解なんだと思う。

特に、当時の政権を批判的に、まるで"敵"のように描く構図には、どれだけのリスクを背負った事だろう。

当時の「菅直人内閣」は、任期中もかなりの無能っぷりだったが、この作品を観ると更にその想いを強めざるを得ない。

一国の一大事に邪魔にしかならない政府ってどういう事だろう。

誤った選択と指示ばかりを繰り返し、日本を破滅寸前まで追いやった張本人は、間違いなく日本政府だった。

しかし、本来ならばこれが事実であってもそれをそのまま映像化などしない、いや、出来ない筈だ。

何故なら、今作はほんの10年前に起きた実際の災害事故を題材にしている訳で、名前など伏せられてはいるが、どの役が実在の誰を指しているかは一目瞭然であり、当事者もまだ多くが存命している状況下であるのだから、もしその中でドラマ的に脚色したり事実とは異なる虚偽などが含まれていた場合、反発は免れないし名誉毀損などの罪にすら問われかねず、仮にもしそうなれば公開中止の危険すらある。

この映画で描かれる政府に対する不信感は、現行政権にも影響を及ぼしかねない程に酷いからだ。

しかし、今作は無事封切られ、当事者間から否定の声は上がっていない。

それは、ここで描かれた事がぐうの音も出ない真実であり、それを裏付ける証人が数多く居るからなのだろう。

また、こういった場合ならば、ノンフィクションと言えど政府側にも現場を思いやり、現場に与するようなキャラクターをでっち上げるなりして、緩衝材の役目を演じさせるのが普通だと思う。

しかし、今作はそれをしなかった。

結果、描かれる政府側の人間は一様に"クソ野郎"ばかりとなる訳だが、逆に"腐っても権力者"を相手どってまで悪い方に脚色する訳が無いことを考えると、それこそが"真実"であると捉えるのが妥当なのだから、その事実が本当におぞましくて仕方が無い。

そして、そんな上からの圧力にも屈さず、被爆という恐怖と戦い、一介の職員が背負うべき責任をとうに超えた状況下でも、逃げず投げ出さず現場を決死の覚悟で守り抜いたプラント職員達のその姿には、涙と感謝しか出てこなかった。

誰かがやらなくてはならない状況下でも、人は普通あそこまで強くはなれないと思う。

ましてや「東海村JCO臨界事故」で、人が人の形すら保っていられなくなる被爆の恐ろしさは、現職者であれば誰もが知るところの筈なのに、それでも立ち向かい続けたその生き様には本当に頭が上がらない思いである。

そして、原発2号機がメルトダウン寸前で急に落ち着きを取り戻した原因は、未だに分かっていないという。

もしメルトダウンが現実に起こっていたら、東日本は全て壊滅。

東京すら間違いなく住めない街になっていた。

それが起こらなかったのは、本当に奇跡だったと思う。

ただ、それは神が与えた奇跡などではなく、福島第一原子力発電所に残った職員達が、一丸となって手繰り寄せてくれた奇跡に他ならない事はゆめゆめ忘れてはいけない。

そして、ゆめゆめ他人事にしてはいけないのだ。
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