Yuto

Fukushima 50のYutoのレビュー・感想・評価

Fukushima 50(2019年製作の映画)
3.0
史実に基づく映画。

こういう映画は往々にして賛否が起きやすい。史実、実際に起こったことを忠実に描くという前提ならば、そのハードルは天井知らずに高くなる。

そしてそれを受けとる視聴者の期待値もまた同様だ。
実際に起こり、実際に体験したことを描いた作品に、おかしな点などあってはならない。誰もが納得する形で描かれていなければならない。

「史実に基づく映画」に対して、我々は無意識にそう思うものだ。

だが所詮は映画だ。
限られた尺、限られた予算のうちに全てを忠実に描くというのは我々素人が考えるほど容易なはずがない。ましてそれが全ての視聴者に納得のいく映画かどうかは問題外だ。



片や命懸けで事態の収集に奔走する現場の職員。

片や想定外の自体を全く制御できず、いたずらに現場に無理を強いる東電本社と首相官邸。

現場の人間が命を賭す様を単純に英雄視する脚本も、菅直人の無能さを露骨に批判する脚本も、自然を甘く見ていたのが間違いだったで締める脚本も、もしこれらが全く批判されずに100%全ての視聴者が本作を絶賛する自体となったら、それこそ異常事態だろう。
まさか製作サイドも賛否両論を想定しなかったわけではあるまい。



かく言う私は、とりあえず本作には中立の立場。駄作と決めつけるほど酷い映画とは思わないが、かと言って本作を傑作とも言いたくはない。

別に史実を多少美化したところでそれは映画の良し悪しには関係ない。
映画に真実を語る義務はないし、誰が何と言おうが映画は所詮作り物である。

菅直人(もっと言えばかつての民主党政権)を露骨に批判的に描くことで今の自民党政権を婉曲的に擁護しているかどうかはともかく、少なくとも私は鑑賞中にそんなことは考えてない。
原発事故が天災か人災かは映画の主旨ではないのだから。

だがヒューマンドラマにおける人間造形は邦画にありがちな時代遅れ感のただようものだった。
唐突に回想シーンを流す脚本や編集は見せ方として容易過ぎる。



震災から10周年を迎えた本日、この『Fukushima 50』を鑑賞したが、福島第一原発事故と言い、昨今世間を脅かす新型コロナウイルスと言い、この国の危機管理能力の欠如は少なくとも民主党と自民党かという問題ではない。日本という国そのものが抱える問題。
再認識するまでのないことだった。

2021年39本目
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