このレビューはネタバレを含みます
======================
事故現場の当時はこうなっていたのかと、
知らなかった。同じ祖国の者として平然と暮らしていた事に現場にいた方々に謝罪をしたい。
「日本を守って頂きありがとう」と。
======================
地震は日々の生活の中で突如予兆もなく訪れる。
ーーそう、それを伝えたいかの様にこの映画は始まる。作品の作りとしてはドラマ的とかを伝えたいのではなく、現場で起きたことを忠実に再現している作品で真実を伝えたいと伝わった映画だと思えた。災害映画ともいえるのだろう。災害や大惨事など突然の異常事態に立ち向かう人々を描く映画。とてもよくできていて感動できた。
「実際にこんなことがおきていたのか」
「この人達がいなかったらどうなっていたのか」
「原発は恐ろしい、自然を舐めすぎていた」と感じた。
Fukushima50の方々がどれほど辛い思いをしたのだろうと、称賛すべき人達だと。
さて、ここからは第一原発で起きた「真実」ではなく、映画に出てこなかった『真実』というネタバレの話だ。
この話しの重要性はその後の福島の事ではないだろうか。いや、原発そのものの問題点でもあろう。災害映画ではなく環境映画なのではないか。
こんな説もある。環境問題をヒントにフィクションで描かれる作品と、観客に対する啓蒙を主目的とするノンフィクション作品に分けられる。後者の場合は、不都合な真実のように政治的な主張に利用される場合もあり、その正確性に対して議論を呼ぶことがある。
そう、福島原発の事故は『天災』か『人災』か。
まだ話しは終わってはない、復興のつもりのオリンピックは海外からなんて言われているか知っているか?「Radioactive Olympics」これを聞いて悲しかったよ。太平洋に放出は世界を敵にするぞ。
日本政府、国民で原発に関する現実を直視するべきだ。
正直のところ良い映画だったのはもちろん、だがもっと世に知らすべき事はあったのでは?たぶん、真面目にそれを公開すると上から止められるのだと思う。だから違う解釈でこれを見た方がいいとお勧めする。
あれから9年たとうとしている今、振り返るのではなくあの忌々しい事故を起こさないよう立ち向かうべきなのだろう。事故は終わってないのだと。
映画レビューとしてこんなことは書きたくなかったが、自分には評価できない作品だ。かなしい。。。
2020/No.009試写会