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Fukushima 50のMoviePANDAのレビュー・感想・評価

Fukushima 50(2019年製作の映画)
3.5
『 祈り - 69 Wills - 』

日増し大きくなっていく円の大きさに、事の深刻さとそれでも信じられない気持ちとがない混ぜになっていました。直線距離にしてそこから約200㎞。日本という国の狭さを思い知りました🗾

以前『ミスト』のレビューにも記しましたが、あの日あの場景を目にした時、「日本という国は終わってしまう」本気でそう思いました。メカニズムを知りさえすれば、その後波が引く事は分かったはずなのに。でもそうは思えませんでした。

ボクは当時家電量販店で責任者をしていて、まさにその時は常連のお客様の配送の受付をしていました。大きく突き上げる様な衝撃、そして大きな横揺れ。とっさにそのお客様にカウンターにしっかりつかまっていただく様お声掛けをし、担当売り場がオーディオビジュアル売り場だった事もあり、壁面のテレビや大型スピーカーが倒れてこない様、各人員に指示。幸いな事にそういった売り場事故は起きずにその時は過ぎました。

「これは大きかったですね!」
「震源はどこだったんだろうねぇ」

そんな言葉を交わし離れた場所にある売り場のテレビを見遣ると、どうやら新潟はまだ“いい方”であった事を知りました。

「えっ!?」
ひっきりなしに入る速報。そして...

信じられない光景。
認識にある“波”とは全く別物のどす黒いそれは、恐ろしい程の一直線でやってきました。スマトラは知っていたけど、だからこそ自分達には関係の無いまさに海の向こうで起こりうる事だと思ってました。

本当に忘れられません。
まさに絶句。でも仕事は続けなきゃいけない。駅の中に店舗があったので、店内にどんどんお客様が入ってこられました。今までに聞いた事の無い強い口調のNHKアナウンサー。テレビ売り場の人だかりはどんどん大きくなり、ただただ見入る人、慌てて誰かに電話をかける人、絶叫する女の人もいました。

そして、あの出来事。
より深刻な事態、なのにそれがどれだけの事なのか最初はよく分かっていませんでした。日に日に分かっていく深刻さ。今まで気にした事の無い単位。広がりゆく円。この映画はまさしく、その円がさらに広がってしまうか否か。その後の国そのものを揺るがしかねなかった、あの時あの場所の最前線で起きていた出来事を描いた作品です。

とはいえ...
冒頭にあくまで“基づく”と示された通り、ここでの描写が全てとは言えないのが真実。本当の現場は当然こんなもんじゃなかっただろうし、題材が題材なだけにか、皆の演技が過剰に熱すぎる。(そんな中、火野正平さんの常温具合が一際光ってました。)

予告における沸点は、渡辺謙扮する所長と篠井英介扮する本店本部長との
「余計な事言わずにやれよ!💢」
「だったら一回現場来いよ!💢」
の場面だと思うのですが、ここに象徴される通りこの映画は良くも悪くも旧態依然な邦画の集大成的アプローチに終始。劇伴を改めてSpotifyで聴いてもやっぱ退屈。『アナ雪2』や『グレイテスト・ショーマン』はサントラ聴く度必ず涙する僕なのですが...

なんて腐しておきながら、正直に告白すればスクリーンを観ながら何度も涙してしまったのも事実。10年も経たない内に、いやこの先で言ってもこの題材で商業映画やる事自体賛否両論あって当然の事。それに「フェアかどうか」という表現も何か違う気がしますが、どうしても誰かの“側(がわ)”に寄った描写になってしまうのも致し方ない。ただ、最後まで観て思ったのは、あれだけ嫌味に思えた篠井さんも、バカのひとつ覚えの様に吠え続けた佐野史郎演じる総理も、何かこう表面上だけでは推し測れないというか、そうは言っても心の中では同じ共通の想いを抱いている、そんな風に感じられる表情を捉えたショットがあった事がこの映画の本質を一番表していた気がします。(題材はさておき、スコアはあくまで客観視して付けました)

要は祈りにも似た気持ちをみんな抱いていた事には変わりがなかったと思うんです。ただ、そこにはそれぞれの仕事があって、立場もあった。だから、それをどう思うかは人それぞれだし自由でしょう。この映画が作られた事自体を不快に思う人がいてもいいし、一方では誰かの今後の人生に活きるかもしれない。でもそれこそが映画の意義のひとつだと思います。

実際には50人ではなく、69人だったらしいですね。「彼らをヒーローとして描くのはいかがなものか?」「国難を起こした企業の一員として当然の使命」そう思うのも個々の自由だと思います。ただ、事実として実際にあの現場で命を懸けた人達がいて、それを映画というものを通して観た時ボクは涙が溢れましたという話です🐼
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