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ホテル・ムンバイのumisodachiのレビュー・感想・評価

ホテル・ムンバイ(2018年製作の映画)
3.3
2008年にムンバイで実際におきた同時多発テロを描いた作品。『ウトヤ島、7月22日』のような当事者目線の構成。

超一流ホテルのタージマハル・パレス。ホテル。世界中からVIPが集まるこのホテルには、今日も多くのゲストが集っていた。しかし、ときを同じくしてパキスタンから武装した少年たちが上陸。ムンバイでは同時多発的に無差別銃撃が発生する。タージマハル・ホテルででも銃撃が始まるが、インドの特殊部隊はムンバイに常駐していないため、なかなか事態の好転が図れない。続々と被害者が増え、建物に火が放たれる中、ホテルの従業員たちはゲストを救おうと奮闘するが……。

非常にストレスのかかる作品なので、ダメージを受けやすい人は注意が必要。とにかく人がバンバン死ぬし、助けがなかなか来ない上に情報が得られない中で、どう行動したらいいのか皆目わからないという閉塞感が凄まじい。ただし、物語は何人かの視点にフォーカスするので、『ウトヤ島、7月22日』よりは俯瞰して観られる。

「自分たちの貧困は欧米に住む異教徒の金持ちのせいだ」「やつらは人間じゃない」と教え込まれ、家族への多額の報酬をエサに殺戮行為に駆り出されている少年たち。本作は、彼らの側にもある程度寄り添っている。彼らは子供であり、ある意味で犠牲者ともいえるという部分を強調しているのだ。

しかし、何よりも重要視しているのは現地スタッフの行動だろう。あくまでも職務をまっとうし、ゲストへの礼節を守りながら彼らを守ろうと犠牲を払うスタッフたちの姿は、高潔以外のなにものでもない。恐怖のあまりスタッフのターバンに拒否反応を示す白人女性を諭す言葉など、胸を打たれるセリフやシーンも数多くあった。

ただ、ちょっとどう見たらいいのかわからない作品だという気持ちも否めない。『ウトヤ島、7月22日』については、若者たちが極右思想の1人の犯人によって理不尽に殺害されたという構造なので、憎しみの所在がはっきりしていた(こういった言い方が正しいかはわからないが)。しかし、ムンバイの事件の場合は犯人たちもある意味では被害者であり、黒幕は逮捕もされていない。世界の富が不均衡である点は否定できないわけで、「《完全に安全な場所から》《貧困に喘いでいない自分が》少なからずドラマチックに演出された映画を観て同情している」というシチュエーションに居心地の悪さを感じたのは事実だった。

ボロボロの服を着てイヤモニで残酷な指示を受ける少年たちと、綺麗な服を着て豪華な部屋に誘導され、高級酒をふるまわれながら「まだ救助はこないのか!」とスタッフに苛立つVIPたち。そして、この映画を撮っているのはアメリカで映画の勉強をしたオーストラリア人。事件の悲劇性と背景の複雑さを描くことこそ本作の目的だったのだろうが、なんだかモヤモヤする。正直、インド人やパキスタン人が監督していれば居心地の悪さは感じなかったのかもしれないとすら思ってしまう。

当事者しか映画にしてはいけないとは思わないが、もしかしたら私は、この映画を作るのは少し早すぎたと感じているのかもしれない。まだ10年しか経っていないし、インドとパキスタンの対立も終わっていないし、イスラム過激派のテロも続いている。まだ消化しきれていないのに、少なからずエンターテイメント性のある映画として消化していいのか?という気持ちが自分の中から拭えないのかも。うまく言葉にできなくて申し訳ないのだが。

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