ワンコ

影裏のワンコのレビュー・感想・評価

影裏(2020年製作の映画)
4.3
【そもそも原作が難解…】

東京の浅草・浅草寺に、影向堂と云うお堂があって、これを(ようこうどう)と読みます。
実は、影裏も経文の一部として知られていて、(ようり)と読むのが正しいとされています。

この原作を読んだ時、よく理解できないなと正直思った。
短い小説だし、読みやすいテンポの良い文章なのにもかかわらずだ。

そして、映画化されると聞いて、正直、大丈夫なのかと思った。

ただ、映画を観て、ちょっと、なるほどと…。

そもそも、芥川賞の選考委員の村上龍さんは、何を言いたいか分からないと言っていて、あー自分だけじゃないのか、あー良かったと思っていた。

ただ、ヒントもあった。
同じく選考委員の宮本輝さんは、中国の禅問答の言葉から抜き出したタイトルの意味をもっと分かりやすく伝えるような構成にすべきではないかといった批評をしていたのだ。

その一文が「電光影裏斬春風(でんこうようりしゅんぷうをきる)」。
漢文で正確性は担保できないが、意味としては、
剣を突き付けられた僧が兵に向かって言う。
「【雷(電光)が光(影)って(裏)、春風を斬る】ようなもので、魂までは滅することなどできないのだ」と。

そして、魂というのは、悟りを開いた者の悟りのことらしいのだ。

それでも、当時から「??」と思っていたが、今回、この映画を観て、実は、少しスッキリした。

以下、ネタバレになるように思います。



まず、この異様で謎の行動パターンの日浅が、今野の回想の場面を含めて二回言う、
「明るいところだけ見ててもダメだ。人の裏を見ないと。影の最も濃いところを見ないとダメだ」
そして、朽ちた木に生える苔を見て「俺たちはしかばねの上に立っている」というセリフが、観る側の僕達に印象づけられて、映画タイトルとの関連性を想起させ、混乱させるように思った。

例えば、人の影の最も濃いところの裏は、実は、しかばねなのか…とか。

そして、日浅が、津波に向かって、たじろぐことなく、タバコをくゆらせながら、少し微笑んでいるように見える場面を通して、ハッとする。

実は、先程紹介した、電光影裏斬春風は、「人生は一瞬であるが、悟りを開いた者は滅びることなく、存在し続ける」のたとえだ。

もし、日浅のセリフをもって、さも悟りを開いたような人物で、生死も不明で、消失して尚、皆を惑わせるとしたらどうだろうか。

いや、だが、日浅が悟っているはずなどない。
そして、今野がゲイであることは、決して影などではないはずだ。

きっと、この小説自体が、全体を通して逆説的なのではないかと思った。
本来は光という意で使われる影を、さも暗い部分であるように想起させたり。

巷にSNSで溢れる、さも悟ったような書き込み。
しかし、誰も悟ったなんて思っていない。

匿名性が高く、そいつが何処にどんなふうに存在しているかも分からない。

僕達の生きる世界と同じだ。
僕達の生きる世界の空気感と同じだ。

村上龍さんが、よく分からないと言ったのは、率直な感想だったのかもしれないが、実は、僕達の世界をよく分からないと言っているのと同じじゃないのかとさえ思えてきた。

実に、奇妙な作品だった。
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