ラウぺ

ジョジョ・ラビットのラウぺのレビュー・感想・評価

ジョジョ・ラビット(2019年製作の映画)
4.2
根は優しいジョジョはイマジナリーフレンドのアドルフ・ヒトラーの力を借りてヒトラーユーゲントの教練に参加していたが、勇気を示すために兎を殺すことを強要されたのを拒んだことで“ジョジョ・ラビット”とあだ名される。家ではゴリゴリのナチスに息子が染まることを憂慮している母親と二人暮らし。あるとき屋根裏にユダヤ人の少女が潜んでいることを発見する・・・

監督のタイカ・ワイティティはもともとコメディ出身の人で、『マイティ・ソー バトルロイヤル』(まったく、書くのさえ躊躇われるクソ邦題!)でもシリアスな内容に笑いの要素がいきなり放り込まれる演出が独特のタッチを生んでいましたが、本作は直球ど真ん中のコメディ路線。
ことあるごとにジョジョの眼前に登場し、さまざまな助言をしていくアドルフ・ヒトラーは監督自身の演技。

しかし、ドイツが舞台なのに英語で演じられる作品、更には英語を話すヒトラーが登場するとなるとなおのこと、親衛隊を「SS」と発音せずに”Personal guard”となってしまうなど、違和感を払拭するのに苦労しました。役者は適宜ドイツ語っぽい発音にしようとしているところはあるのですが、やはりできればドイツ語で観たかったというのが本音。

それは置いておくとしても、本作は数多と作られたナチスもの映画の中でも特筆に値する作品だと思います。
ジョジョのナチスに対する信奉ぶりはまさに模範的ヒトラーユーゲントとしてのそれで、『太陽の帝国』のクリスチャン・ベイルを彷彿とさせるものがあります。
教え込まれた価値観を盲目的に信じる幼い感性ということもありますが、その中身の善悪よりもかっこよく見えるものに憧れる少年らしい心理というものなのではないでしょうか。
それゆえに、なおいっそうナチスの啓蒙活動の空恐ろしいところが際立つのですが、そこにユダヤ人の少女との邂逅をもってくるところが本作のミソ。
これはある意味では真正のボーイ・ミーツ・ガールな映画といえます。
ユダヤ人の少女と出遭ってからジョジョの内面に少しずつ変化が兆してくる様子は、分かっちゃいるけど実に上手い演出。

また、登場人物は少ないながらそれぞれが個性的で魅力的に描かれています。
その筆頭がお母さんのスカーレット・ヨハンソン。
息子にはヒトラーユーゲントとしてではなく、10歳の子供らしい感性で育って欲しいと願う彼女の無限の母性愛とナチスに立ち向かう信念の人としての姿が大変魅力的でした。
ジョジョの考えをあからさまに矯正しようとはせず、詩的で豊かな表現を用いて諭していく話し方、父親の居ない寂しさを覆い隠すようにふるまう健気さ・・・アカデミー賞の助演女優賞ノミネートもむべなるかな。
劇場から帰る途中で彼女のことを思い出して思わず涙が出てきました。

またヒトラーユーゲントの教官を務めるサム・ロックウェルも魅力的。
前線で負傷し後方でヒトラーユーゲントの教官となった彼は戦争の行方も察しがついており、ゴリゴリのナチスとは微妙に異なる立ち位置にありますが、ぶっきらぼうな物言いながらジョジョに対する様子は父親代わりとも感じる温かみのあるもの。

屋根裏に潜むユダヤ人の少女もまたたまらなく魅力的。
ジョジョの本来の心根である優しさを少しずつ開いていく様子、ユダヤ人としての誇り、ジョジョより年上の娘らしい寛容さを示すところなど、ジョジョのミューズとなっていくところがこの物語の大きな見どころとなっています。

舞台は1944年の後半から終戦という時期ですが、前半のほのぼのとしたムードから後半は非常に厳しい展開となります。
そこでも物語は過度な悲劇的様相に陥ることを避け、どこかソフトなタッチで描いていくのですが、終戦間際の混乱の中で、さまざまなものが失われていく悲劇性とのバランスは、この映画独特のもの。
雰囲気としてはウェス・アンダーソン的な明るい感じの作品なのですが、ウェス・アンダーソンなら更に遠慮なく突っ込んでいたであろうと感じる一種のスノッブさ(いや、私はそこがウェス・アンダーソンの好きなところなのですが)を消毒したような、全体のトーンを崩すことなく自制的な描かれ方をしているのが、監督の美意識なのかなと思いました。
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