〈歪んだ人間をもそっと見守る温かさが、カチコチのヘイトを融解させた〉
ヒトラーに傾倒する少年の姿から気づくのは、加害者とて一概に「個人」に非があるとは言えないのではないかということ。生まれ落ちた国家、家庭、宗教といった「個人」には決められない半先天的な要因が、恐ろしくもその人格を決定づけうるのだ。
問答無用の巨悪として描かれてきたナチスもそんな「個人」の集積と見れば、ただ闇雲に悪として蹴り飛ばすのは違うのではないか。もっと大きな要因を裏に模索するべきなのではないか。そう思わせた。
ただ、これはあくまで私の思考が飛躍しただけのこと。肝心のタイカ・ワイティティのスタンスとしては、マオリにルーツがあるゆえの民族的な矜恃からか、少々頭ごなしで、ナチスとヒトラーへのヘイトを闇雲に爆発させているだけのようでもあった。詳細な知識を持っているはずない子役陣が、「ヒトラーなんか大嫌いだ!」と映画祭で自身ありげに答えるのも見るに耐えない現状。(ワイティティのやっていることは実はナチスと変わらない?)
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さて、本作はジュブナイル・コメディとして、ウェス・アンダーソンのフォーマットを大いに借用しているだろう。とりわけ、ナチス・ユーゲントとカブスカウトの服装や、ロックウェルとノートンの造形が似ていることから『ムーンライズ・キングダム』を想起した人は多いのでは。
ケレン味を随所にちりばめすぎていた感もあり、先ほどの理由からホロコースト映画の傑作とは口が裂けても言えないが、トロントでPCAを獲ったのは納得の笑いと感動のバランスが心地よい作品であった。最後は『終電車』に似たカタルシス。