ことぶき

ジョジョ・ラビットのことぶきのネタバレレビュー・内容・結末

ジョジョ・ラビット(2019年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

ジョジョ・ラビット

1/26初鑑賞
2/2二回目

ずっと感想がうまく纏まらなくて、先延ばし先延ばしにしていました。ただ、誠心誠意、心を込めて真摯に書きました。
以下、感想です。


こんな言い方だとあれですが、とことん、ちゃんと戦争映画でした。
優しい映画なんだけど、「目を背けないで」と向こう側から伝わってくるものの質量がとっても大きい。だから、ベッドに潜り込んでから反芻して、堪らなくなって泣いてしまったりする。

ワイティティ監督。すきとしかいいようがないし、作品全体に溢れるとてつもない愛で心が締め付けられて苦しくなる。
ああこの子だけはどうか自由に、よい方に、と少しずつみんなが想うジョジョへの愛情がどこまでも優しくて熱いから、押し出されるように涙が出てくる。

反ヘイト親ピースというのがとことんしっくりくる映画だと思いました。ヘイトというのはユダヤ人に対して行われた酷い暴力だけでなく、ジョジョの傷など随所に感じられるものな気がしました。ユダヤ人迫害だけに焦点を当てていないというところに、新たな第二次世界大戦中のドイツの描き方を見ました。

戦争もヘイトもよく映画において取り上げられる題材だと言えると思うのですが、なかなかここまで愛というものを描き出してくれる作品はないと思います。
この作品は「戦争映画」であり「ロマンス映画」であり「ファミリー映画」であり、そして「成長物語」なんだと。
無垢なまま、まっさらなところにヘイトを押し付けられ従ってきたジョジョが、何を自分の核に据えるのかともがき、成長していく。そのなかで「今できることをする」というのはこの作品の大きなメッセージだなと強く感じました。ロージー然り、キャプテンK然り。もちろんエルサもジョジョも、きっと今できることをした結果があれで、そしてそこから「どうするか」が大切なんだと。
だからこそのあの、ラストのダンスシーンはどこまでも自由だし、見ている私たちに不滅のパワーを与えてくれる。

そしてとてつもなく感動してしまったのは、スカーレット・ヨハンソンの母の演技。正直勉強不足で、彼女の所謂「ヒロイン枠」もしくは「ブラックウィドウ」としての演技しか拝見したことがなかったのですが、こんなにも温かく大きな母親の愛情を演じることができるんだと、演技の素晴らしさに感動して泣いてしまった。
ジョジョの靴紐を結ぶ、あのキュートなウィンク、そしてジョジョを叱り、一緒に踊る。
彼女は「生きている」と強烈に身体に染み込まされる演技でした。とっても好き。
だからこそ、その後のロージーの死でとてつもない喪失感を味わう。

ロージーが吊るされていた広場のシーンについてなのですが、あそこで映される家の窓。
あれを私は‪幼気なただの十歳の男の子のジョジョと反ナチスのロージーが死体になってもなお糾弾されている図なのだと思っていました。あの家々の窓に見下ろされて、ああなんて世界は苦しいんだろう。このなかで「今できること」なんてあるんだろうかと悲しくなってしまった。
その後の家に戻ってからのエルサとジョジョの対面、爆撃される街を見つめる2人を見て、「これから今できることをしながら、彼らは彼らだけの家で過ごしていくのか」とひしひしと感じました。
きっと他の解釈もあるのだろうと思います。ただ、あの喪失からのエルサとのこれからを思うジョジョの気分の緩やかな上昇へと繋がるあの流れはとても好きだなと感じました。

あとあと、「アメリカ兵にハグしてきなさい」のシーン、2回目鑑賞のときにどうなるかを知っているからあまりにも苦しくって辛くって、靴のなかで足の指をずっと引き締めていました。そうでもしないと泣き叫んでしまうと思って。
戦争の禍々しさから決して目を逸らさずに描き出してくれた映画だからこそ、「愛」があんなにも際立って美しいのだな。


正直私はジョジョよりは大人でエルサよりは子供であったので、どのアングルにアンテナを張って見るべきかというのはなかなか定められなかったです。
ただ、この作品を数年後に見返しても今と同じものは手に入れられないんだろうなと思った。どんな映画でもそうだけど、この作品は特に。
恋人がいるとか、子供がいるとか、パートナーがいるとか、ひとりで生きているとか、どれも間違いじゃなくて、その人それぞれで焦点を当てる場所が違っているんだなと。
ジョジョ・ラビットは人生の映画な気がするので。


そして、結局なにを一番感じたかって、大人って本当に、子供の前を行くんだなということでした。
そりゃあ、嫌な大人がたくさん出てくるんですけども(ゲシュタポのひとたちとか、これでもかっていうくらい悪役で怖い)、彼らを含めてロージーやキャプテンK、手本にも反面教師にもなるたくさんの大人が、「さあ君はどう思う?」とでも言いたげにずらっと登場するのには心底感動しました。

この映画は、ただの戦争映画でも、もちろんコメディ映画でもなく、教本になり得るのだと思いました。
きっとジョジョはアドルフという大人に憧れ、ナチスという大人に何もかも壊された子供なのだと思います。 大人というものに何もかも左右されてしまう。ママのケーキが好きな十歳の男の子の周りが、大人の都合で戦争ごっこに塗り替えられ、大人の手で壊されていく。
理不尽でどうしようもない様を描き続けるなかで、それでもまるっきりすべて大人を悪人にすることをしませんよね。「できることをする」ひたむきな大人を描くことで、私たち鑑賞者側が何をするべきか、何を感じるのかを自分自身で選び取れるようになっているなと思いました。
そういう意味で、複雑に人生に干渉する道徳的な教本になり得るなと。

ジョジョに起きたことは決して優しいことばかりではなくて、だからこそ最後のダンスはあんなにも自由で切ないのだと思います。でも、その世界を覗き見た私たちはどこまでも自由にものを感じ取ることができる。考えることができる。

そういう点で、戦争について、反ヘイトについて、親ピースについて考えるということの素晴らしい出発点になるのではないかなって。

ジョジョの「できること」が他者への攻撃から、自分の命を守ることや自由を求めることにシフトしたことが、あの爽やかなエンディングにマッチしていてとてもすきでした。
何かを変えるなんてまだ十歳の子供には大きすぎて、ただ、今できることをする。


この映画が心の柔い部分に刺さった私は、果たして胸を張って自由にダンスを踊れるのかなと、ふと考えてみたりしました。


他人を傷つけるって、自由って、生きていくってこんなにも難しい。
ことぶき

ことぶき