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名探偵コナン 紺青の拳の140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

名探偵コナン 紺青の拳(2019年製作の映画)
3.5
【This is WAR】

すっかりコンテンツモンスターと化した劇場版「名探偵コナン」は、今年は怪盗キッドと400戦無敗の空手家である京極真を迎え、シンガポールへ赴く。監督は静野孔文がコナン映画を離れた後、毎年監督を変えることでサスペンスやスリラーやアクションの手触りが毎年新鮮に感じられるように思える課題曲コンテンツにシフトしているように見える。そして何よりビッグコンテンツ化したことにより、シリーズものの映画でありながら毎年ゲストキャラ(服部&和葉、安室、怪盗キッド)に焦点をおしてエピソードとして切り出したエンターテイメント要素を強くした映画ビジネスのトップランナーとして根を伸ばしていくように思える。規模の多いシネコンでは1日10回以上の上映回数で、初日からのトップギアで飛ばして、さらにGW休暇への集客を初日動員数の話題性も含め、コナンとしての立ち位置以上に邦画界としてもビッグコンテンツへと成長している。もはや「ワイルドスピード」級の偏差値レベルでボックス勝負できるモンスターコンテンツなのだ。去年と今年はGW休暇に「アベンジャーズ」と闘うこととなるが、劇場版コナンの性質上、アベンジャーズのようにコナンユニバースのキャラをごった煮でなく、あるキャラクターに焦点を当て、毎年マイケル・ベイ級のアクション要素で味付けて世に送り出すことで、ディズニーが抗争するSTAR WARSサーガ以上の効率的かつ効果的な市場刺激として機能している。

実際映画を拝聴したわけでが、名探偵コナンという推理小説のコミック化だったコンテンツの肝である推理というポイントを大幅にカッティングして、トリック以上に本作は登場キャラクターの粗を探して、立場のシーソーゲーム化をしている。むしろ推理モノよりも完全にアクション映画として機能させている。去年のサスペンスティブな要素はカットしてシンガポールの煌びやかな大都市で恋愛や大破壊のようなシンプルなエンターテイメント性で作品を推進しており、ある種逃げのようにも映り、ある種特化型ビジネスエンターテイメントへとシフトしているように映る。

本作はとにかく
“戦争”
なのである。

クライマックスにシンガポールの夜をロケットランチャーの戦火とビル火災のシークエンスは、「ローグワン」の戦闘シーンのようでもあり、ダイハードの中富ビルの危機にも映る。もはや捜査ではなく戦争と化したコナン映画は、アベンジャーズとの対抗策として京極真=ハルクというモンスターキャラも登場させている。人としてのボーダーラインを越え、メキシコ麻薬戦争を撲滅させるかのような戦火と爆破シーンに、ハルク枠として登場する京極真が恋人との距離の接近と精神の揺さぶりに悩みながら、拘束具で囚われながらハルクスマッシュがごとくコナンアベンジャーズの一員として力を解き放つシーンは、アベンジャーズに興行成績で勝つという意識の高さが現れ、作品自体がぐんぐん意識の低い側へと傾いていく。そもそもシンガポールに赴いて、マリーナベイザイズを悉く戦場に変え、ラストアタックでの大破壊は、「ゴジラvsデストロイア」の冒頭のゴジラの香港破壊シーンに匹敵する大胆なモノだった。むしろやっていることが「こち亀」になっているのだ。「こち亀」のTVスペシャル級のストーリー設定とアクションの終息は、「こち亀」のTVシリーズ初期でED後に挿入される「本日の被害総額のコーナー」を実際にやっていいレベルである。むしろコナン一味は「ワイルドスピード」のドムファミリー以上に世界的に指名手配されるレベルである。

推理サスペンスコンテンツから邦画アクションのビッグビジネスコンテンツ化した弊害として、キャラの動きや設定の伏線と回収が確実に勢いまかせで、配置されている感覚が否めないことと、新一×蘭のある絡みは、脳内補完をしなければ少々疑問符がチラつく場面もある。「トランスフォーマー」シリーズ以上にマイケル・ベイ枠を勝ち得た劇場版コナンは、クオリティ云々はあるが、ユニバース化してすべて集結させずキャラを絞って映画でフィーチャーする余裕ができた分、本作でスポットライトが当たった鈴木園子の前髪の演出など、人目で可愛いという脳内数値が跳ね上がるようなキメ絵の威力が発揮できたことは言うまでもなく、各主要脇役キャラの掘り下げを劇場版で派手にやってくれる分、飽きのこないコンテンツとして邦画業界のディズニー枠として君臨するであろうレベルの違いを思い知らされた。